撮影&文:三毛ランジェロの保護猫日記
我が家の猫・夕(ゆう)のお話をしましょう。
夕は3年前に私が保護した猫です。保護をした時、とても小さく、目は開いているけれど見えず、首には大きな噛まれ傷がありぐったりとしていました。すぐに動物病院につれていくと、その地域の野良猫の様子を良く知る獣医さんからは、「多分、猫白血病の猫に襲われて怪我をしたのだろう」ということと、「猫白血病が移った可能性が高い」と言われました。そして「今助かったとしても、猫白血病であれば、長くても3年」と余命宣告されたのです。
病気の可能性があるとなれば、譲渡で新しい飼い主さんを探すことはできません。そんな経緯で、夕はうちの子になったのです。夕という名前は、20年生きた先住猫の“朝”にあやかって長生きして欲しい、と願い名付けました。
うちにも慣れて、家族から可愛がられていた夕ですが、今年(2017年)8月半ば辺りに、夏バテのように食欲が落ちてしまいました。私たちは夕の好きなかつおのウェットをあげるなどして、色々と食べ物に工夫をしてあげました。
その甲斐あって、次第に夕の食欲は改善傾向に。良かったなと、胸をなでおろしていたのですが、それもつかの間でした。
9月に入ると、なんだか夕の呼吸が粗い気がするようになりました。気になったので、動物病院へ連れて行き検査を――
結果はリンパ腫。余命2ヶ月との診断でした――
胸のあたりに子供の拳くらいのリンパ節があり、肺の働きの邪魔をしている為に、呼吸がしにくくなっているそうです。腹水も溜まっていましたが、そちらはそれほど呼吸への影響はないとのこと。
白血病でも、いつもとても元気な夕は、犬と一緒に育ったので、自分を犬と信じていたのか、お手も上手に出来ました。遊んで欲しい時には、座っている私の肩に手をかけて、もう一方の手で私の頰を軽く2回叩いて気を引いてきます。そんな可愛い無邪気な夕が、まさかこんなに急に、余命告知されるとは思ってもみませんでした。
とにかく私に出来ることは、今まで通りの生活をすることです。急な環境の変化は、かえって夕に良くないからです。ご飯は食べやすいように、台の上に乗せてあげたり、好きなものを食べさせてあげたり、いざと言う時のために、酸素室をすぐに組み立てられるように、準備してあげたりしました。
夕の病気について、何人かの先生にご意見をいただき、白血病の猫を看取った友人にもお話を聞いて、夕のこれからの治療法として、ステロイドや抗がん剤は使わないことにしました。
もしも薬が効いたとしても、多少余命が延びるかもしれないというだけで、リンパ腫が完治することは、まず無い。その一方で、薬の副作用に苦しむ可能性は高い。その両者を冷静に比較した結果の決断でした。
それからの夕は、やはり呼吸は苦しそうですが、よく食べてくれました。
私たち家族は工夫をして、夕のご飯は好きな物が食べられるように、色々なフードを並べてバイキング形式にしてあげました。夕もそれが気に入ってくれたようです。
マタタビの粉を付けてあげた爪とぎが大のお気に入りで、その上に乗っては、幸せそうな姿を家族に見せていました。
心配はあるものの、平穏な日々――
私は、このままそんな日々が続いて欲しいと願いました。
しかし、現実は厳しいものです。
夕と家族の平穏な日々は、そう長くは続きませんでした。
余命告知を受けてから、10日程が経った頃です――
それまで元気そうに見えていた夕が、突然肩で息をしだしたのです。
口を開けて目を見開き、舌を出して酷い状態です。
横になると腫瘍が気道を塞いで苦しいのでしょう。座ったままの姿勢で、ただ耐えるしかありません。
その時、あいにく私は出かけていたのですが、家族がスマートフォンに、写真と動画を送ってくれました。客観的に見て、獣医師でない私が見ても、夕の命がもう尽きようとしているのが分かりました。
私はふと思いついて、ある特別な方法で、高濃度の酸素を夕にあげてみようと考えました。もともと仕事柄、こういったことには知識を持っています。ある薬品の化学反応でそれはできそうでした。
さっそく、試してみました。そして――
この方法は劇的でした。
夕は一気に楽になったようです。
ほどなくして危機的な状況を脱し、状態は落ち着いていきました。
この高濃度の酸素を与える方法は、いつか改めて、別の記事で書こうと思っています。
その日の夜、夕は少しですが、ご飯も食べてくれました。それまでは苦しさのあまりに、横になる事さえできなかったのですが、呼吸が楽になったお蔭で、ようやく床に伏せられるようにもなりました。
こんなことがあったものだから、いつかの備えと準備をしていた酸素室(テント状のもの)を、急いで組み立てました。夕との別れの時は、もう目の前に来ているように感じました。
この酸素室は私の友人が、自分の愛犬を亡くす前に使っていたものです。私が保護している犬やの猫のために、使って欲しいと言って送ってくれたものです。
こんなに早く使うことになろうとは――
しかも我が家の夕に――
高濃度酸素のおかげで、夕はそれから2日間は、前と同じように過ごしてくれました。このまま同じ日々が続いて欲しいと、私は願いました。
しかし、別れのときは確実に近づいていました。
それは突然の出来事でした。
急に体全体で息をしだしたと思ったら、何かを必死で吐き出そうと、ヨダレをたらし、苦しそうにし始めた夕。
急いで酸素室に入れてみたのですが、すぐに出たがってしまいました。
私は、掛かりつけの動物病院へも連絡をして、連れて行く旨を伝えました。
しかし夕は、それからすぐに苦しんで暴れ出してしまい、とても運べる様子ではなくなってしまいました。
そこで私は思い直しました――
無理やりキャリーバッグに押し込めて病院へ向かうより、好きな場所に行かせて好きなようにさせてあげた方が良いと。
とにかく見守ろうと覚悟を決めた途端でした――
夕は、私の見ている目の前で横たわり、息をしなくなってしまいました。
「夕!」
私はまだこの時、この間と同じように、夕が再び復活してくれるのではないかと、心のどこかで願っていました。しかし、それは自分勝手な考えのようにも思えました。
これから先、何回もこんな苦しい思いをしながら、夕は生きていかないといけないのか?
そう思うと、このまま夕を楽にさせてあげたいという気持ちに変わっていきました。
残り2ヶ月との余命告知を受けてから、わずか2週間ほど――
夕は天国へと旅立ちました。
まだ3歳でした。
夕が、完全に息を引き取った時――
これでもう、夕が苦しまなくてすむと、ホッとしている自分もいました。
別れはつらいものですが、それと同時に安息の時でもあります。
夕にとっても、飼い主にとっても。
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テレビが好きで、テレビの前に立って背伸びして見ていた夕。
本当に可愛い子でした。
夕は遊んで欲しいときには、私の肩に手をかけて、もう片方の手で頰を叩いてくるのですが、今にも夕が、またそうしてくるのではないかと思ってしまいます。
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夕がいない我が家は、とてつもなく寂しくて、もっと何かしてあげられることはなかったのかと後悔することばかり。しかし、クヨクヨしていても夕が喜んでくれる訳ではないのだから、しっかりと前を向いて、夕が喜んでくれるようなことをやっていこうと心に誓いました。
「捨てられていた夕と同じような、不幸な子たちのために、私が出来ることを精一杯やっていこう。若くして亡くなった夕のためにも」
きっと夕は、可愛い顔で天国から見守ってくれているでしょう。
――どうか、天国にも夕の大好きなテレビがありますように。
――おしまい――
文:三毛ランジェロ
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この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。
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