犬派の僕が猫と暮らす理由撮影&文:紫藤 咲
獣医さんに到着したときには、すでに八時を回っていた。通ってきた道が帰宅ラッシュですごい渋滞で、思った以上に時間がかかったからだ。
通常の診察時間はすでに終わっており、待合室にはいたのは支払いを待ちの人が一人だけ。ブラインドは下され、照明も暗くなっていたけれど、獣医さんは快く迎え入れてくれた。
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「拾ってしまったので、里親探しをお願いできないか?」と早速、相談すると、獣医さんは苦い笑みを浮かべた。
「里親を探すのはいいけれど、チラシはつくってもらわないといけないし、一日五百円かかるけどいいの?」
え? 無料でやっているわけじゃなかったの?
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「昔はね、無料でやっていたんだけど、それだとキリがないの。増えすぎちゃって、犬舎に収まらなくなったからね、それじゃ、本末転倒でしょ?」
確かにそうだ。獣医さんはボランティアじゃない。
犬舎だって、具合の悪くなった子達のものだ。
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「五百円でも安いほうだと思うよ。手はかかるし、小さい子を育てるのはいろいろ大変だからね」
ねこさんを見る。ものすごく小さい。
手はかなりかかりそう。
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「拾ってお願いしますと丸投げなら、誰だってできる。実際、そういう人もたくさんいる。でもね、考えてほしい。ひとつの命を救うってね、簡単なことではないんだよ。
だから、うちでは最後まで責任をもってもらう、命を救うことの大変さをわかってもらうために、里親探しは自分でしてもらう。預けるにしても、きちんと料金をいただくんだよ」
獣医さんは言った。
さらにボランティアさんの必死な話もしてくれた。
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「里親探しをするボランティアさんは、毎日丁寧にお世話をし、予防接種もして、大切に育ててくれる人を吟味する。信じて預けたあとに抜き打ち検査までしてね。
大事に育ててなかったら引き上げちゃう人もいる。正直なところ、そこまでやるのはどうかと思うけど、彼らにはそれくらいの権利がある。
本当にひとつ、ひとつの命を大切にして、育てて送り出すんだから、大事な子供を預けたのに、裏切られたら引き上げるのは無理もない話だよね。
お金だってかかってる。餌も注射もタダじゃない。それでも彼らは命を救うために、寝る間を惜しんでやる。
ひとつの命を救うのはね、それくらい大変なことなんだよね」
獣医さんの話で、ぼくは某番組で紹介されたボランティアさんを思い出した。
内職しながら、大変なのに何匹もお世話をしていた人だった。
ボランティアなど、簡単にできることではないのだと、ぼくは改めて痛感する。
そして、そんな人が容易にほいほい見つかるわけがない。
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「命を救うことがどれほど大変なのか、これはやってみるのが一番いいと思うよ。もしかしたら、十日足らずで死んでしまう可能性もある。
子猫は子犬に比べて未熟だから難しいしね。それでも、その十日を知ることはとても意味があると思うよ」
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この時点で獣医さんにお任せコースであるプランBは断念せざるを得なかった。簡単にいけるだろうと思っていた、ぼくの浅はかな目論みは脆くも崩れることになった。
そして、決断を迫られる。
お金を出して預けるのか、もしくは自分で頑張るのか。
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「育てるなら、相談に乗るよ」
と獣医さん。
里親探しは簡単ではないと話を聞き、その上で考えるぼく。
獣医さんに預ければ、手間はないが一日五百円かかる。
期限は設けるにしても、どれくらい続くのか、期間はわからない。
十日でも五千円、一ヶ月なら一万五千円。
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自分で育てるとなると、手間の他に、お世話をする環境を整えるなどのお金がかかる。けれど、自分で拾ったのに、なにもせずにお金だけ費やすのはいかがなものだろう?
それに、だ。
まだ、おばちゃんがボランティアさんを探してくれている。
でも、手をかけるのに人に譲渡するってのはどうなのか?
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「ひとまず、貰い手が見つかるまで自分で頑張ってみようと思います」
と、ぼく。「まったく飼い方がわからないので、教えていただけませんか?」
結局ぼくは、プランBを諦め、新たなプランCに希望を繋ぐ決意をした。
「いい人が見つかるまで、世話をしよう」
それがプランC。
そこそこお金と手間がかかるのは仕方ない。
拾ったのは他でもなく、ぼくなのだから。
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しかしながら、このとき、ぼくはまだ気づいていなかった。
プランCに繋げようという目論見を簡単に覆してしまう感情の存在を……
弱いもの、小さいものへ抱く情という心の動きが、なによりも厄介であるということを、完全に忘れてしまっていたのであった。
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(余談)
――ひとつの命を拾うこと(3/10)つづく――
作:紫藤 咲
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――次話――
ねこさんの貰い手が見つかるまでは、自分で頑張ってみようと決めた、ぼく。
しかし、知らない事ばかり。
ノミの駆除も、爪を切ることも。
――そして結膜炎のこと。
獣医師の言葉に、思わず「まぢかよー」とぼく。
さあ、ここがスタートライン。
――前話――
猫さんを連れ帰ったものの、ぼくの知識はゼロ。
性別。月齢。種別。すべて不明。
猫さん――、謎だらけ。
友人のハットリ君か、旧知の獣医さんに託そうとするのだが――
さて、託せるのか?
本当に?
猫さん、ときどきミーと鳴くばかり。
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この記事は、下記のまとめ読みでも読むことが出来ます。
この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。
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――この連載の第1話です――
運命の日――
ぼくは猫を拾った。
犬派だった著者が、猫を拾ってからの悪戦苦闘を描くエッセイ。
猫のいない日常に、飼ったこともない猫が入り込んでくる話。
はじまりは、里親探しから。
――当然、未経験。
「ぼくらの物語はこの日から始まった」
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21歳になった愛猫ボス。
「少し痩せたかな」
と感じたことが、始まりでした。
医師から告げられた病名は、腎不全。
「ボスの頑張りを忘れたくない」
「看取りまでの大切さを、多くの方に知ってもらいたい」
作者の願いが、どうか皆さんに届きますように。
毎日、仕事帰りに、ニャーニャー鳴きながらついて来た子猫。
ある雨の日、濡れたその子猫を拾い上げました。
それが、家族が増えた瞬間。
『おいで』と名付けたその子は、賢くて、生きる事を楽しんでいるようでした。
しかし……
――作者の執筆記事です――
――Withdog『犬を飼うということ』は、犬と飼い主の絆を考えるサイトです――
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