犬派の僕が猫と暮らす理由撮影&文:紫藤 咲
ねこさんの具合がみるみる悪くなっていくのに、ぼくは体重を増やすことだけを必死に考えていた。なんとしてでも1kgに近い体重にして、抗生剤を打ってもらうんだという思いからだった。
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でも、本当はすぐに病院に向かうべきだった。
ねこさんはうちに来てから、ほとんどの時間を寝て過ごしている。歩いてもすぐに立ちどまって、じっと動かない。ちんまりと座って微動だにしない姿は、某アニメの主人公――宅急便のお仕事をする魔女っ子の相棒である黒猫のようでかわいかった。
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しかし、この『動かない』『じっとしている』という状況がどれほど危険な状態であるのかを理解できていなかったぼくは『大人しい子だよな、この子』という認識しか抱いていなかったのだ。
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そんなある日、ねこさんの様子を見に来たハットリくんが「おいっ」と、ぼくに声を掛けた。
「こいつ、絶対にヤバいから、すぐに獣医に行けよ」
「だってさ、体重増やさないと抗生物質投与できないって言われてるし。まだ400gもないんだよ。受診の約束まで、一週間あるし」
ぼくは言い訳を並べた。受診までの一週間で体重を絶対に増やしてやると躍起になっていたせいだ。
するとハットリくんは呆れたように「おまえはバカか」と言い放ったのである。
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「真面目すぎるのも程があるぞ。あのな、確かに二週間後においでねって言われたんだろうけど、それはなにもなければ二週間後で、ヤバかったらすぐに来いよっていう意味に決まってるだろうが」
「治療受けられないのに行ってどうするんだよ」
「この状態は治療レベルだよ!」
ねこさんは鳴かない。大好きなもふもふタオルや毛布に移したときだけはゴロゴロと喉を鳴らすが、それ以外は少しも鳴かない。
いや、鳴こうとはする。口を開けて「にゃー」と。
だけど、声が出ない。
出てもか細すぎて、耳を傍立てなければ聞こえないほどなのだ。
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「おまえが連れて行かないなら、オレが行く!」
「わかったよ! 明日、行ってくるよ!」
喧嘩もんかだった。
第二の保護者となっていたハットリくんからしたら、やりきれなかったのだろう。それもそのはず。彼は常にぼくとねこさんのアドバイザーという立場で見守り続けているのだから。ねこさんのことは我が子のようにかわいくなるのも当然のことだった。
たとえ、毎日一緒にいなくても、だ。
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翌日、仕事を終えたぼくは、すぐに獣医さんへ向かった。先生にここ一週間の経過を報告すると、すぐさま表情が固くなった。
「体重が増えないっていうのは、かなり問題だね」
改めて体重を量る。診察台に表示された数字を見て、心臓がとまるかと思った。
『350』
――は? なにこれ?
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朝は370gあった体重。けれど何度やり直してみても、350gという数字は変わらない。一週間、あれほど頑張ってきたにもかかわらず、少しも変わらなかったのだ。
この結果に、先生は「もう、抗生剤使うしかないね」と腹をくくった。
「とにかく、風邪を治さないとね。命に係わるから」
効いてくれるかどうかはわからない。一か八かの選択であったとしても、やるしかなかった。それくらい切迫していたのだと、このときになってようやくぼくは気づいたのだ。
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こうならないためにがんばってきたはずだった。
『肺炎になるとすごく危険だから』という話を、ずっと前にSNSのフォロワーさんから聞いていたからだ。
話を聞いたときのぼくは、うちのねこさんがまさか肺炎になってしまうなんてないだろうと思っていた。
間違っても現実にしちゃいけないと、心の中で強く誓ってお世話をし続けてきた。でも、ここへきて、『肺炎』という病気の発症が現実味を帯び始める。
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肺炎を発症すると、人間だって死に至ることがある。
発見が遅ければ、さらに致死率は上がるし、体力がなければ克服もできない。
治すことができないわけではないけれど、思っている以上に厄介な病気だから、絶対に掛かるわけにはいかなかった。
少ない選択肢の中で決定した抗生剤の投与。
指一本分程度の小さな注射器がぶっすりとねこさんの背中に刺さると、それまで反応の薄かった彼がジタバタ暴れ『ギャー』と鳴いた。
――ごめん、ねこさん。がんばれ!
できることなら痛い思いはさせたくなかった。だけど、その痛みと引き換えに、彼の命を繋ぎとめることができるのだとしたら? 我慢してもらうしかなかった。
暴れるねこさんの様子を見守りながら、心の中で『どうか薬が効いて、元気になりますように』と祈ることしかできなかった。
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なんとか注射は打てたけれど、一度で治療終了とはいかなかった。
抗生剤投与は全部で三回するという。
「結膜炎はどうする?」
と先生に訊かれた。パラボラアンテナみたいなやつ(カラー)をやれば、こすることがなくなって、目もよくなるだろうという話だった。
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「とにかくひとつずつ治してやりたいので、お願いします」
ぼくが見ていないときに目をこすっているらしく、一向によくならない目。
腫れもおさまらなければ、目ヤニだって出続ける状態。
一歩ずつでもいい。彼を健康にしてやりたいという一心から、パラボラアンテナ状態にすることを選択した。
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はじめて異物を首に巻きつけられるねこさんは、注射を打たれる以上に抵抗した。
ジタバタ、ジタバタして、診察台から二回も転がり落ちそうになった。
先生に首根っこを掴まれて、急降下は回避したが、首に重たいプラスチック製の装置をハメられ、ゴロン、ゴロンと首が重くて転がってしまうのを見ているのは胸が痛くてたまらなかった。
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「明日、明後日と続けて打ちたいんだよね。明日はお休みだけど十時か五時に来てもらえれば打つけど、どうかな?」
「すみません。明日はどうしても仕事で抜けられないんです」
「じゃあ、仕方ないね。二日後に二本目ね」
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パラボラアンテナ状態になり、水を飲むのも、食事をとることもさらに大変な状態になってしまうねこさん。なぜ、ぼくは仕事を優先させてしまったのだろう。
有休を取る選択肢もあったのに、明日でもいいやと悠長に先送りにしてしまったのだろう――
ぼくのひとつ、ひとつの選択が過ちであったのだと、心底後悔することになるのはこの日から三日後のことである。
※文章中の『喧嘩もんか』はぼくの地方の方言です。喧嘩しそうな勢いという意味になります。
お腹を触ると、それが嫌で少し抵抗するが、本当に今思うと弱々しい力だった。
これが彼の精いっぱいだと気づいてあげられればよかったのだけれど……
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おまけ
――ひとつの命をはぐくむこと(7/11)つづく――
作:紫藤 咲
Follow @saki030610
――次話――
食べないねこさんの体重を増やすことに、躍起になっていたぼく。
しかし、知らぬ間に別の問題が発生していた。
ねこの食べ残しを、犬のひなさんが食べていたのだ。
いつの間にか、豊満ボディーのひなさん。
――おまえが太っちゃいかんのだ!
――前話――
ねこさんとの生活も一週間。
運命的な出会いに感謝するぼく。
友人ハットリは、”もしも”ねこさんが体を壊したらどうする訊いてくる。
「うーん、どうかなあ」
そんな談笑だった。
だが――
その時既に、ねこさんには命の危機が迫っていたのだ。
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この記事は、下記のまとめ読みでも読むことが出来ます。
この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。
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――本クールの第1話目(1/11)です――
先住犬ひなさんと、ねこさんのお近づきチャレンジの再開
しかし、吠えまくるひなさん。
――上手く行かない。
引き離そうとするぼくに、ハットリ君が言う。
「まぁ、待て。ちょっと見てみようぜ」
ひなさんと、ねこさんは、家族になれるのか?
そして彼は、遂に”運命の一言”を、ぼくに告げるのでした。
――本連載の第1話です――
運命の日――
ぼくは猫を拾った。
犬派だった著者が、猫を拾ってからの悪戦苦闘を描くエッセイ。
猫のいない日常に、飼ったこともない猫が入り込んでくる話。
はじまりは、里親探しから。
――当然、未経験。
「ぼくらの物語はこの日から始まった」
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