撮影&文:紫藤 咲
親が我が子にはじめて贈る物――それは名前だ。
この世に生まれてきてくれて本当にありがとう。
親として選んでくれてありがとう。
これからたくさんしあわせになるんだよ。
大事に大事にするからね。
名前にはこういったさまざまな願いがこめられている。
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ぼくにもいる。願いをこめて名づけた子が。
その子の名前は『ライ』。
一年前に拾った子だ。
350gビール缶一本分の体重しかない、とても小さな子猫だった。拾ったときは目の周りは目ヤニでベタベタしていて本当に汚かった。爪も出っぱなしの伸び放題だった。それこそ見た目はエイリアン。「どこの星から落ちてきた?」と聞いてしまいたくなるくらい不細工そのものだったのだ。
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そんなお世辞にもかわいいとは言えない子猫のお世話を成り行き上、引き受けることになった。家に連れ帰っては来たけれど、名前はつけなかった。
黙々とお世話をし続けた。彼がなにかを訴えて「にゃーん」と鳴こうとも、ぼくの体を這い上って逃げようとも、ぼくは名前だけは呼ばなかった。「ねこさん」という仮名ですらつけようとしなかった。当然のことながら、言葉掛けも少なくなっていた。
――ひどいやつだな、拾っておいて。
そう言われても当然だと思う。だけどこれにはちゃんとした理由がある。
たしかにぼくは彼を拾った。お世話もした。彼には親もいなかった。ひとりぼっちでみかんの箱の中に捨てられていた。そのまま放置すればなにかしらの形で命を落とすことになるだろうと思ったから、家に連れ帰った。
実際、車にひかれて命を落とした子猫をたくさん見てきたし、親がついていながら生き延びられなかった話も聞いていた。そういう未来を彼には歩ませたくなかった。
だから、せめて引き取り手が見つかるまでは精一杯お世話をしようと思ったのだ。
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でも、名前はつけられなかった。正直に言うと、名前をつけるのが怖かった。
期間限定のお付き合いだからこそ、あえて自分と彼の間に線を引きたかった。名前をつけることで彼に愛情を持ってしまうこと。名前を呼ばれることで、彼がぼくを一生のパートナーと勘違いしてしまうことを避けたかったからだ。
だって、別れがつらくなる。離れがたくなる。傍に置きたいと思ってしまう。そうなってしまうことを誰よりもぼく自身が確信していた。
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それもこれも小さい頃に、うちで生まれた子犬を離乳食期まで育てた経験があるせいだ。
実は、これが本当につらかった。一匹、一匹名前をつけて大事に育てた子が新しい飼い主さんにもらわれていくとき、さみしさと悲しさでさんざん泣いた。この世の終わりだと思うくらいにはつらくて、つらくてたまらなかった。そのときの気持ちを二度と経験したくなかったのだ。
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だが、そんな抵抗も二日間しか続かなかった。名前を呼べないのはお世話をするうえで、かなり不便だった。しかし、もっと問題だったのは事務的に作業する自分がいることだ。
彼は自分でごはんを食べられなかった。
排泄も手伝わなければ自力ではできなかった。
まともに鳴くことも、走ることもできなかった。
そんな彼のお世話をただやりつづけることが苦痛になっていた。
自分がロボットになった気分だった。なんだかひどく嫌な気持ちになっていた。あまりに機械的すぎた。
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このままで本当にいいのだろうかと悩んでいたぼくを見るに見かねたのだろう。友人が言った。
「名前をつけてやれよ」と――
ほんの数日間かもしれない。
それでもちゃんと名前をつけてやれと。
「おまえが拾ったんだから」
この一言に背中を押されて、ぼくは名前をつけることにした。
いろいろ考えた。思いつくものをいくつも、いくつも口にしてみた。どれが似合うだろう。どれなら喜ぶだろう。しっくりくる名前はなかなか浮かばなくて、悩みながらまじまじと彼の顔を見る。薄いブルーの瞳が雷みたいに光って見えた。とてもキレイだった。
「ライにする」
空からドドーンッと力強く落ちてくる雷のように、この子もたくましく育ってくれたらいい――そんな願いも込めて。
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名前をつけてからはお世話が楽になった。彼の名前を呼ぶたびにしあわせな気持ちにもなった。体の奥底にあった愛情の泉からどんどん水が溢れだしてくるかのように、いとおしさがとめられなくなった。
ごはんをあげるときも、排泄を手伝うときも、抱っこするときも、なでるときも、必ず彼の名前を呼んだ。彼が生死の境目でふんばっているときも、負けるなという思いと大好きだよの気持ちを名前に託した。たくさん、たくさん呼び続けた。
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今ならわかる。
彼はぼくからのはじめての贈り物を喜んでくれていたんだって。
息を吸うのも大変だったぼんやりした意識の中でも、彼はわかってくれていたんだと思う。だからこそ生きることを諦めなかったんだと――
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こうして、名実ともにぼくの子になった『ライ』は現在、その名前の通りたくましく暮らしている。雷のように轟音をとどろかせながら部屋中を駆け回っているくらいだ。
体重も5㎏オーバー。
ふっくらした巨体をででーんっと廊下の真ん中に横たわらせて、ぼくの行く手を塞ぐなんてことは日常茶飯事だ。
そんな彼は「ライ」と呼ぶと振り向いてくれる。
機嫌のいいときは「にゃーん」と返事もしてくれる。
「用がないなら呼ぶなよ」
とふてくされた顔を向けられることも往々にしてあるけれど、ぼくは嬉しくてついつい彼を呼んでしまう。彼が生きていてくれることがとてもうれしいからだ。
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だからこそ――
あなたにあえてお願いしたいことがある。
もしもあなたが猫を拾い、成り行き上とはいえお世話をすることになったときには、たとえ期間限定のつきあいになるとわかっていても、どうか名前をつけてあげてほしい。愛情を持って名前を呼んであげてほしい。
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たったそれだけのことで、小さな命を救うことができる。
仮に生きることを諦めた子だったとしても、生きたいとがんばってくれると思うから。
名前――それは我が子にあげる、はじめての愛の贈り物。
ほら、あなたにも聞こえるはず。
『すてきな名前をありがとう』
と喜ぶ彼らの笑い声が、きっと――
――了――
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【ねこさん、拾いました第2クールまでのあらすじ】
作:紫藤 咲
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この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。
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