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【災害時のペット/自宅火災の体験】愛猫、愛犬を守る誓い ~311、あの日、私と愛猫は(その3)~

f:id:masami_takasu:20190310184248j:plain撮影&文:miao

東日本大震災から8年がたちました。 2011年3月11日、あの日我が家では――

あの頃、我が家は決して平穏とはいえない災いが続いてました。
2009年は火災、2010年には母が脳腫瘍で倒れ、手術前の造影検査中の脳梗塞、退院後も年明けに後遺症による発作で再度入院と、災難続きです。

母が倒れてから、私は仕事のシフトを早番に代えてもらい、帰宅した午後は、父と一緒に毎日母の面会に行っていました。 ”あの時”も、いつもと同じように洗濯物を取り込んで、母の着替えの用意を済ませていました。

「病院に行ってくるね」
私が自分の部屋で、alexにおやつをあげていたときのことです。
激しい揺れが襲ってきました。

日本は地震が多発する国です。地域にもよるでしょうが、多少の揺れなら動じないくらいの「慣れ」みたいものが、多くの方にあるように思います。
わたしも揺れに慣れた一人でしたが、その日のその揺れ方は違いました。
95年1月17日の阪神淡路大震災当時、私は大阪に住んでいたのですが、あの朝の揺れの衝撃を思い起こすような――、いえもっと――、それ以上の事が起こっていることを直感させるものでした。

わたしの住んでいる北関東は震度5強でした。 すぐにalexを抱き上げ大きなケージに入れ、窓のカーテンを閉め、部屋のドアを開け放ちました。

阪神淡路のときに、友人の一人が慌てて起きて動いた際、割れたサッシを裸足で踏んでしまったことがありました。その話を聞いて以来、私は万が一に備えて、ベッドの下には靴下を入れたスニーカーを一足置いていました。

 

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とにかく少しでもガラスが飛び散るのを防ぐためにカーテンを締めることと、歪みで開かなくなるドアを、すぐに解放することが重要だと思っていました。すぐにそれができたのは、一度その恐怖を経験していたからです。

ゲージの上にはいつもクッションになるマットを敷いていました。いつもalexがひなたぼっこをしていた場所です。

手の届く場所にキャリーも置いてありました。 なかなかおさまらない大きな揺れの中、ケージをおさえながら、わたしはalexに歌いました。alexが恐怖を感じないように。パニックを起こさないように。不安が伝わらないように。大丈夫。怖くないよ。心配いらない。と、『ピーターラビットとわたし』を、鼻唄よりはっきりとカラオケよりも優しく、笑顔で歌っていたと思います。

このケージにalexを入れて歌ったのです

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今にも倒れそうなテレビが、寸でのところでとどまり、 最初の揺れが落ち着いた頃、父が犬の散歩から帰ってきたのがわかりました。

部屋の中で倒れたのはぬいぐるみくらいでした。元々alexがいたずらして倒したら危ない小物などは置いてなく、PCや、ルーターなどには、100均の転倒防止シールのようなものを使っていました。

我が家は、母が猫も犬も分け隔てなく愛する人でしたので、歴代いつも、犬猫たちがいます。父は他の猫たちをケージに集めた後、母の様子が心配だからと、病院に出かけて行きました。

家に残ったわたしは、続く余震でもまたゲージを押さえて歌いました。
私は膝の上には、いつものように何事もなかったように安心して眠るalex。
私はalexを撫でながら、明日1番でalexのフードを買いに行かなければと思っていました。

alexの主食はphバランスの療養食です。以前にたった1日だけ別のフードをあげただけで、既往症の尿路結石を再発してしまったことがあるので、替えが効きません。残ってるフードは半分くらいだったので、どうしてもストックが必要でした。

その後父から連絡があり、母も母の入院する病院も大丈夫だったと分かり、ほっとしたのですが、その後、東北でかつてない大惨事が起こっていることを知ります。

翌朝、すぐに動物病院に電話をしました。
幸い在庫はあったものの、今ある分だけで取り置きはできない、次の入荷もわからないということでしたので、急いで自転車を走らせました。

かろうじて手に入れた命綱のフード。帰りは購入できたことの安堵と、この先に起こることへの不安で一杯でした。

「次は何なのよ!」
思わずそう言い返したくなりました。神様に――

ネットでフードが買えることを知ったのは、この後のことです。
それからは常時ストックするようになりました。

 

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ここで一旦時計の針を戻し、 2009年に起きた我が家の火災についても触れておきたいと思います。これもまた、ペットと災害についてのお話です。

冒頭に書いたことですが、その頃の我が家は毎年のように不幸な事が続いていました。その火災は、夏の夜に突然に降りかかった災難で、隣家からの貰い火で起きたものでした。

「大事なものだけ持って逃げなさい」
父に言われて、パジャマのままで私は家を飛び出しました。
暗闇の中、炎で照らされた庭を、私は右手にalexを入れたキャリー、左にフードをかかえて、決して転ばないようにと門まで走りました。

炎は庭を囲む高い塀を越えて、大きく立ち上がっています。まずは離れに火がつきました。次は母屋――、最初に燃え移るのはわたしの部屋です。残してきた全ての物を諦めたわたしでした。

轟音、野次馬に囲まれ騒がしいなか、わたしに出来ることは、落ち着かない様子のalexと、ずっと離れずにいることだけでした。

家族や動物たちは避難できた…はずでした。

火災はその後、幸いにも離れを全焼しただけで消し止められました。
被害は最小限。わたしはまさかその日のうちに、再び家の中に戻ることができるとは思ってもいませんでした。

しかし、我が家は柴犬のりゅうくんと、茶トラのかんちゃんを失ってしまいました。

りゅうくんは救出が遅れたために、気道熱傷を起こしていました。
夜間病院に担ぎ込みましたが、助からないと言われ、家に連れて帰ってすぐにたくさんの血を吐いて亡くなりました。

 

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翌朝は、姿が見えないかんちゃんを探しました。

何度も名前を呼び探したのですが、かんちゃんは出てきません。
かんちゃんは母が保護した元野良です。去勢して家の中に入れても何度も脱走してしまうので、日中はお外に出していましたが、テリトリーは狭く、ほぼ庭や離れで過ごしてました。

いつもは夕方に名前を呼ぶと現れ、ベッドやタワーを置いた離れでごはんをあげて、朝までそこで暮らすのがかんちゃんの生活スタイルでした。

母は火災に気づくとすぐ離れを開け放ち、暗闇でかんちゃんを探したのですが、途中消防隊員に制止されたため、逃げていてくれることを願うしかありませんでした。

やがて「かんちゃんが見つかったよ」と、静かに言う父の声が聞こえました。
私が駆け寄ろうとすると、父は「見るな!」と私を止めました。

「生きてるんじゃないの?」母が号泣しました。
昨夜りゅうくんを抱いて、真っ赤に染まっていた母の腕がの中には、真っ黒な塊になってしまったかんちゃんがいました。 

この子が、かんちゃんです
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りゅうくんの写真は見つかりません

この時、わたしは狂ったように泣き叫んだのだそうです。
「alexが心配してる」と言われて我に返ったときには、早朝から駆けつけてくれた知人に抱き締められていました。

振り返ると、焼け焦げた建物の隣にある母屋の2階の窓、わたしの部屋のいつもの場所でこちらを見ているalexがいました。

 

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いつ何かが起きて、突然失われる日常――
私は自分の身に降りかかる災厄には、慣れて耐性がある方です。 しかし、変わってあげられない他者の痛みには、耐性がつかないものです。

母から伝わってくる痛みも、悲しみも、苦しみも、消え去ることなく、私の中に積み重なっていくばかりでした。 

火災後、私はPTSDと診断されました。

酷いフラッシュバック以外、自覚はそれほどではなかったのですが、周囲から見たらそうではなかったようです。

異常な不安神経症、不眠、味覚がなくなるなど。そして、胃潰瘍。
それからは、とにかくalexの安全を確保できているかが全ての中心になりました。
「もう誰もあんな目に合わせちゃいけない」
そう思っていたのに――

そして翌年には、母が倒れてしまいました。

わたしにとって、毎年のように起こる悪夢の先に311であったように思います。

「次は何なのよ!」
悪夢と付き合ってきたことで、私には神様に言い返すくらいの強さは身についたようです。自分自信のことについては情けないほどヘタレだけど、家族や大切な者を守るためならば、自分に出来ることはなんでもやる。逆境こそ本領発揮なんだと思えるほどに。

そんな風に思わせてくれたのは、alexの存在があったからです。
いたずらでやんちゃで、私に甘えてばかりのくせに、まっすぐで汚れのない命は、いつもいちばん近くで私を支えてくれました。私の不安定な心を落ち着かせ、安定に導いてくれました。

 

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311で被災地に取り残された動物たちのことは、今も忘れられません。

ネットでは、福島に取り残された動物たちの現実を知るとができました。そこは地獄があり、報道されない現実にわたしは打ちのめされました。とりわけ、避難所の被災者から安否確認を依頼されて、立ち入り禁止区域で違法ながらもレスキューする現場の惨状は凄まじく、わたしににフラッシュバックを再発させました。

離ればなれにならざるおえなかった家族の苦しみや悲しみ、無念。
「またね」や、「さよなら」が言えないお別れほど、悲しいものはないでしょう。
自分の無力さを知る思いでした。

被災地から遠く離れた我が家は皆無事でした。 しかしそれは、わたしにとって終わりでなく、始まりでもありました。

無事だったからこそ、目の前にいるalexだけは何物からも守る。誰にも引き離されない。ずっとずっと一緒にいて、絶対に悲しませない。苦しませてはいけない。
もしもいつか、楽しい日々が一瞬で消え去ってしまう日が来たとしても、その先で絶対に、静かで穏やかな1日を獲得しよう。

そう誓うことが、わたしたちの幸せなのだと思いました。

被災動物の保護活動は今も続いています。 自然も野生も動物も、地球を共有する命です。 人間が奪い続けたら、報復がある。 天災に立ち向かう知恵を持つ人間だからこそ、共存するすべも産み出せるはずだと思いたいです。

陽だまりでくつろぐ猫。 元気に走り回る犬。
その幸福な光景の傍らに、ずっと人が寄り添える未来でありますように。 

 

――311、あの日、私と愛猫は(その3)――

文:miao
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週刊Withdog&Withcat
この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。

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