私の空、マナ!撮影&文:あおい空
今日はマナの特長である、フミフミチュチュのお話をしようと思います。
え、それ初耳ですって?
それは、フミフミしながらチュチュする仕草のことです。フミフミ+チュチュてフミフミチュチュです。
――え、それでも分からない?
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私はマナと暮らし始めて間もなく、マナのことをもっと知りたくなりました。
マナが見せる色々な仕草や尻尾の動きは、何を意味しているのだろうと思ったのです。
何もわからない私はすぐネット検索です。
フミフミは猫が前足を交互に、ゆっくりと踏みしめる仕草です。人間で言うと、手打ちうどんを作るときに、コシを出すために生地を足で踏むような動作。葡萄酒を作るときに、オケの中に入って、ブドウを踏みつぶす動作。これで分かるかな?
ネットで見かけたネコの参考書には、子猫はお母さんの母乳の出をよくするために、前足でお乳の付近をフミフミをするのだと書かれてありました。そしてその習性で、お乳以外にも柔らかなものにフミフミすることがわかりました。
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で、マナはと言うと――
マナは柔らかいクッションや毛布ではなく、私の腕にフミフミします。病院で血液検査をするときに腕の動脈から採りますが、その場所です。しかも、そこに口をつけてチュチュをします。
チュチュというのは、そこをチュ―チュー吸う行動です。
ネットで調べるとそれは愛情表現だそうで、お母さんのお乳を吸う仕草からきているとのことでした。
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マナのフミフミチュチュは、まるで母ネコのお乳を吸っている姿そのものでした。
「痛くないの?」
そう聞く人がいますが、舌を丸めているのが写真に撮るとはっきりわかります。
吸っているからと言って赤くなることもありません。
扉の写真と、下の2つの写真がそのフミフミチュチュです。
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私はSNSで、色々な方がネコのフミフミの動画をあげて下さるのを見ました。しかしそれは毛布やクッションもしくは飼い主さんの体にフミフミをするだけで、授乳のようにチュチュしている画像や動画に出会えませんでした。
気になったので、ネットを検索したりもしました。マナと同じようにフミフミチュチュをする子がもしいるのなら、見てみたいし、飼い主さんとお話したいと思ったのです。このときは、本当に探して探して探していました。
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そんな時、これは同じかもと思う動画に1度だけ出会いました。それは小さな赤ん坊のネコさんでした。
「やった、見つけた!」
私はその動画を撮影した方に声をかけてみました。
しかし――、残念ながらお話ししていただけませんでした。本当にがっかりしました。
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毎日フミフミチュチュをするマナ、時には仕事から帰って夕食を食べている再中にフミフミが始まります。まるで自分のことを、仕事や家事をこなしながら、お腹の空いた赤ちゃんを抱いてお乳をあげているママのようだと、いつも思っていました。
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そんな風に日々が過ぎていき、やがて3ヶ月が経ちました。
動物病院に検診に行く時期です。体重など計ってもらい、順調に成長しているかを医師に判断してもらわなくてはいけません。
マナを拾った9月8日からちょうど3ヶ月目の12月9日。私は買ったキャリーバックにマナと毛布を入れました。天気は曇りで雪もありませんでしが、気温はやはり12月の寒さですした。
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キャリーバックを肩からかけて、恐がって鳴くマナに声をかけながら私は歩きます。
動物病院まではバス停にすると3つ目ですが、歩いていけば20分くらいかかります。
途中、マナを初めて動物病院に連れて行った時に逃げ込んだ藪の横を通ります。ここは仕事に行く道と逆方向のため、普段通ることはありません。藪の横を通ると、やはりあの日の記憶が頭をよぎります。
私は垣根の隙間から藪を覗きました。やはり冬の季節ですね、藪の草や樹木は枯れていて勢いの強かったあの日とは雲泥の差でした。
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動物病院に行く間、私はずっと胸がドキドキしていました。悪い予感がするのです。
マナは元気でどこも悪い様子が全くないと言うのに…。
この動物病院に行く時の不思議な悪い予感については、また別の記事の中でお話しできればと思います。
さて病院につくと、体重や蟯虫検査と触診をしてもらいました。
私は医師に「先生、マナはフミフミするんですよ」と言って、撮った動画見てもらいました。医師はビデオを見て少し微笑むとこう言いました。
「人の体にする子は初めて見ました、お母さんだと思ったんですね」
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この先生、普段は笑みの少ない方なんです。ネコを拾って初めて診ていただいた時には、「何でこんなもの拾ったんだ」という顔をしていたのですが、ものすごい変わりようです。
きっと私がマナを可愛がって育てていることをわかって下さったのでしょう。
そういう気持ちって、自然に伝わるんだと思います。
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とは言うものの、私はこの時も今も、マナを自分の子供だとは思っていません。敢えていうならば、私は乳母だと思います。マナが初めて来たときから、私はマナの本当のお母さんがどうしているのかをずっと気にしていました。こんな可愛い子ネコをお母さんが捨てるはずありませんからね。
「私は貴女の可愛い子供を、貴女と同じように愛せていますか?」
私は見たこともない本当のお母さんに、いつもそう問いかけています。だから私は乳母なんです。本当のお母さんの愛情には及ばない存在です。
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飼い主さんの中には、まるで自分の本当の息子や娘に接するように、自分のことをお母さんと呼ぶ人がいらっしゃいます。もちろんそれを否定するつもりはありません。
それどころか、とても愛情深くて、そんな風にその子に接することができるのは、本当に素敵だと心から思います。
――でも私は少し違っているようです。
自分のことを、お母さんだとはどうしても言えないのです。
きっとそれは、自分のアイデンティティーと関係が深いのだと思います。
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私は中学二年のとき(14歳になったところ)に、父を亡くしました。それから母が女手一つで、私を高校にいかせてくれたのです。
しかし私は父をよく覚えています。実は私は、お座りするようになった頃(生後半年)からの記憶があります。家族や回りの人たちが話していることはもちろんのこと、父の言葉も仕草もその一つ一つを覚えているのです。
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父は私が生まれた時から、私を一人の人間として見ていた人でした。私はその父親の影響を、色濃く受けています。
だから私流に言えば、もしも私がマナの本当の母親であったならば、子供は神さまからの贈り物で独立した1つの個性であると考え、その個性を尊重しようと思うはず。
遠くで見守り、正しく育つことを願う。――そんな存在でありたいのです。
だから――、だからこそ――
血縁の無い私が、そこにお母さんとして割り込むことができないのです。
どうしても。
医師は「お母さんだと思ったんですね」と言ってくれました。
その気持ちは嬉しいけれど、私はマナの本当のお母さんには、きっとなれないだろうな。
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――まなのお母さんへ――
本当はマナと一緒にいたかったよね、マナのお母さん。
マナもできればもう少し大きくなるまで、貴女といたかったことでしょう。
そんな幸せが、何かによって奪われてしまった。
それが何なのかはわからないけれど、いつかネコの親子が――
それからネコ自身が――
安心して過ごせる時代がくるといいね。
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少し固い話しになってしまいましたが、この医師の変化はマナと私にとっては、とても良いことでした。やがてそれを心から感じる日がくるのですが、そのお話しはまた別の機会に。
さてどーなる?
初めてのネコと、その同居人!
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ほら見て!
舌を丸めているでしょ?
――二人の出会いは突然に(8/10)つづく――
作:あおい空
▶あおい空:記事のご紹介
構成:高栖匡躬、樫村慧
――次話――
――前話――
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この記事は、下記のまとめ読みでもご覧になれます。
この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。
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