私の空、マナ 21話
ベランダから外に出てしまったマナ。
アパートにはたった2つの窓しかありません。玄関横の小さな横すべり窓と、ベランダの窓です。玄関脇の窓は高さがあり、ベランダの窓の先には柵がついていますから、私は玄関の出入りの時だけ気を付けておけば、マナが外に出ることはないと思っていました。ベランダにいるときのマナも、その素振りは見せたことがありません。
だから、すっかり油断をしてしまいました。
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地面に降りてしまったマナは、姿が見えません。
すぐに外に出て、マナの名前を呼んだのは、前回書いた通りです。探せるところは隈なく見て回ったのですが、見つけることはできませんでした。
春とはいえ、まだ風は冷たいです。小さなマナが外で迷子になったら、生きていくことはできないでしょう。
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「どうしよう……」
色々と考えた末、私はマナを、しばらく外で黙って待つことにしました。
あれだけ探しても見つからないし、探す範囲を広げてもそれは同じように思えました。
マナを始めて病院に連れて行った帰り道、マナが藪の中に消えた時のことが思い出されました。あのときも、いくら探してもマナは見つからなかった。
結局、マナを見つけたのは、藪に入ってすぐのところでした。
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あの藪の記憶が……
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本当のことを言うと、私には少し自信のようなものがあったかもしれません。
マナはきっと遠くにはいかないというような――
藪の時の経験もあるし、今はあのときよりもずっと、マナと私の信頼関係は育っているはずです。
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マナを待つ間に、色々なことが頭をよぎりました。
猫と言うのは、毛の色にもよるのでしょうが、一旦外に出したら、本当に見つけにくいですね。私はそのことを、すっかり忘れていました。
マナはキジ白で、普段は見えないお腹や、足の先と胸が少しだけ白です。草むらや土の所、コンクリートの上では、保護色のようになるからなおさらです。
そういえばマナは、狭い家の中でも見つけにくいのです。
猫はカクレンボの名人だと、前にも書きましたよね。
そんなようなことを考えているうちに、ふと何か予感のようなものを感じた私。
顔を上げて周囲を見回すと、動く影が――
「マナ……」
その影は低く低く、こちらにほふく前進のように忍び寄ってきたのですが、わたしと目が合った瞬間に、その体制で駆け寄ってきました。
「マナ!!」
私はマナを抱きしめました。とても嬉しい瞬間でした。
抱っこして玄関から部屋に入ってから、私はこうマナに言いました。
「マナ、どこか行ってしまったかと思ったよ、危ないよマナ」
マナには私の言葉は通じたのでしょうか?
いつものように私を見上げるマナでした。
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あんなにドキドキの経験をしたにも関わらず、数日後にはまた、窓を開けてマナと一緒に外をみる若葉マークの同居人だったのですが、そんな時、ある人からメッセージが届きました。猫のスペシャリストとも言うべき方からです。
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▶ こんばんは、マナちゃん外に時々出ることを許さないで下さい。
うちの以前飼っていた子が、母が洗濯の時、時々出してしまい、そのうち毎日出たくて、要求するようになり、出さないと、ちょっとしたすきに逃げ出すようになりました。
猫は行動範囲を広げていってしまうので、そのうち車道にまで出て死んでいました。マナちゃんとよく似た可愛い子でした。画像を見た瞬間、この事を思い出しました
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私はマナが外に出ることを本当はだめだと良心が痛むもう1つのことがありました。マナがFIV(猫エイズ)だということでした。そしてそれを言葉にしましました。
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◀ こんばんは。私も少し心配はしていました。
恐がりで音がするだけですぐに部屋に入って来るので大丈夫かとつい気を許してしまっていました。行動範囲を広げるということは知りませんでした。
やはりそうなると危険が多いですし、何よりもマナの持つエイズウィルスに他の猫たちが感染することが一番気になっていました。そして他の猫が持つ病気に感染する危険性もありますね。
この事もこの辺りでは猫をほとんど見かけないことから私も気を許し過ぎたようです。人生を語ってくれた猫も、大きくなると行動範囲を広げて結局車にひかれてなくなったそうです。今言って下さったことを守ります。猫と暮らすが初めてでわからないことだらけです。
ありがとうございます。
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――そして1日後――
私はまた、同じ方からメッセージを受け取りました。
▶ エイズの子は、発症しなければ普通の猫と全く変わらない寿命をまっとうできるので、外に出さない方が良いと思いました。
三毛ランジェロさんという活動家の方が、その事に関してツイートしいたものを読みましたし、皆さんから聞いた他の情報から推測すると、エイズは家で飼うとうつらない事もほぼ確定だと思います。●
この言葉に私は本当に反省しました。そしてこの猫のスペシャリストさんからの忠告は、マナのために、私が絶対に守らなければならない約束なのだと強く思いました。
「絶対外に出さない! 約束は守る」
そう心に決めた私は、それ以後ベランダの窓を開けても、網戸は閉めておくことを徹底しはじめました。そして網戸のこちら側に座るマナに、私は1か月間囁き続けました。
「マナ、車くるよ。危ないよ、マナ」と。
マナの方も分かってくれたのか、網戸を開けてとアピールすることはありません。
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こうやって、マナと私の信頼関係は徐々に育っていったのです。
一足飛びではなく、本当に本当に少しずつ少しずつ実を結んで――
実はこの1ヶ月間の囁きが、マナと同居人のその後を左右することになるのですが、それはもう少し先のお話です。
さて!どうなる?
猫のスペシャリストさんとの約束!
――余談ですが――
ベランダで洗濯機を回す隣人さんの、お話しをしようと思います。
マナとお隣さんの関係についてのお話です。
この方には、いただきもののお菓子などをよくお裾分けしていて、とてもいい関係が築けています。これは前にも書きましたよね。
時折私はベランダに出てきた隣人さんに、仕切りの隙間から「先生!」と声をかけます。隣人さんは教育関係のかたですからね。間違いではありません。
すると向こうからはいつも、「はい!」とびっくりした声が返ってきます。
きっと誰でも、突然「先生!」と呼び掛けられれば、びっくりするでしょうね。でもその隣人さんの「はい!」はとても気が弱そうなのです。そんなところにも、私は好感を持っています。
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実際のところ、この方の気の弱さは本物です。
アパートの近くに、個人経営のクリーニング店あり、そこにはビーグル犬の女の子を飼っています。その子はお店の前を人が通っても吠えず、散歩で私に会っても尻尾フリフリなお利口さん。
なのですが――
何故か隣人さんには「ワンワン」と吠えるのです。構って欲しいようなのですが、隣人さんは犬が苦手らしくて、ソワソワお店に入っていきます。
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そして、ここからはマナの話です。
大きくなっても相変わらず、ひびりのマナ。外の音には敏感に反応してしまいます。
でもこのマナが、唯一恐がらない音があります。それは、隣人さんが玄関を開ける音なのです。
ガタガタと隣人さんがドアを開ける音が聞こえると、マナは怖がらないだけでなく、スキップで玄関に行くのです。
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動物って面白いな……
ビーグルちゃんにしても、マナにしても、その人が怖い人かどうかを、ちゃんと嗅ぎ分ける能力を持っているのですね。
今日もマナは、隣人さんが扉を開ける音が聞こえると、スキップで玄関まで行っています。私が笑いを堪える中で…。
――二人に舞い降りたものは何?(11/11)つづく――
作:あおい空
▶あおい空:記事のご紹介
構成:高栖匡躬、樫村慧
――次話――
次話は第3章のはじまりです。
マナがもう外にいかないように、わたしは窓の網戸を締めました。
「危ないよマナ、車来るよ」
網戸越しに外を見るマナに、囁き続けた1カ月。
マナは何かが変わったようでした。
――前話――
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この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。
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――この章の1話目です――
――この連載の1話目です――
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