私の空、マナ 23話
今日はマナと囲む楽しき食卓のお話をしましょう。
まずはマナが、うんと小さかった頃のことから。
前にも書きましたが、我が家にはマナ用のケージがありません。となるとマナは、私が食事をする時に何にでも興味津々です。これは好奇心旺盛な子猫にとって、当然のことです。
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我が家はテーブル1つに椅子2脚。そこで私が食事をするわけですが、初めの頃のマナはまだ小さくて、椅子に飛び乗ることができませんでした。そこでマナがしたことは、私の脚に爪を立てて、よじ上ろうとすることです。ズボンを履いていても、子猫といえど、爪を立てて上るのですから痛いです。しかも当時は、まだ病院で爪を切ってもらう前のことでした。
床に降ろしても降ろしても、マナはまたズボンに爪を立てて上ろうとしました。
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もう仕方ありませんので、私は膝の上に抱いて食事をしました。
ある日のことです。マナは膝の上でおとなしく座って机の上を見ていましたが、そのうちに机の上に乗るとクンクンお皿の匂いを嗅ぎました。マナが選んだのはさつま芋でした。若葉マークの私は『猫 さつま芋』すぐ検索です。さつま芋は猫が食べたがるし、食べても大丈夫との事でした。
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私はそれを少しずつ、自分の皿から取り分けました。煮物は薄味ですが、マナが食べるのならば味はつけられません。
まるで赤ちゃんの離乳食を作っているようでした。
今まで1人で食べる食事は美味しくなくて、ただ生きるために食べているようなものだった食卓がマナと二人に変わりました。
何でもマナと一緒にできることはしたいというのが私の気持ちでした。
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ここでも、マナが外に興味を持ち出した時と同じ対応というか、根底にあるのは私のアイデンティティーでした。
ケージに入れるかわりに、戸を閉めて台所にいてもらうことは可能です。しかしそれは私の選択肢の中にありませんでした。仕事で夕方まで留守番しているマナをまた一人にすることなど、とうしてできるでしょうか。
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もちろんマナが食べてはいけない食材がある時もあります。玉ねぎとか禁忌です。
そんな時に、子猫を注意するお母さん猫の映像を見ました。
子猫がいたずらを使用すると、お母さん猫が子猫の頭の辺りを、手で軽くチョンチョンとしているのです。
「子猫を教えている!」
と、思いました。
そこで私はマナがおいたをする時に、それを真似てみることにしました。まながそれで、何となくダメなんだなと気がついてくれれば大成功です。
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マナは人間でいうなら、一人っ子です。親や兄弟もどこかにいてくれる事を願っていますが、今はマナ一人っ子。
誰もマナの教育係がいないのですから、私がやるしかありません。
私は、お母さん猫になることに決めました。
テーブルの上には、マナが食べられる物を入れるパックを置きました。おかずとご飯を一度に手早く運び、椅子に座るとスタンバイオッケー。
マナと囲む楽しい食卓のスタートです!
はじめはパックには何も入っていません。そしてテーブルに乗って対面式です。
マナは猫ですから匂いを嗅ぎます。でも手は出しませんでした。
そして空のパックにサツマイモを少し入れました。マナが食べているうちに、自分も食べます。
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またマナが匂いを嗅ぎにきます。「これ食べる?」と大根をマナのパックに入れます。食べますが、少し残しました。動物にも好みはあるのです。
そして、おっと!
マナが食べてはいけない物の匂いを嗅いだ時――
こんなときは、そう。あれです。
チョンチョン――、これはマナ食べられないよと教えます。
「マナこれ食べる?」
「これはマナ食べられないよ」
これが二人の食卓での会話になりました。
最近は全くチョンチョンする機会がないね、お利口さんだねマナ。
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こんな日々を繰り返しながら、ある時からマナは私の食べ物に興味を示さなくなりました。体が成長したのかなと思いました。
その代わりなのでしょうか?――
マナは私がご飯を食べようとすると、寝るときに必ずしているフミフミを、食事のときにもさせろと要求するようになりました。私の腕にフミフミするマナを膝に抱っこして、私は食事をします。当然片手だけしか使えません。でもそれで良いのです。
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今の時代、共働きで家計を助けながら、家事や育児をこなしているママも多い事でしょうね。マナのフミフミを見ていると、仕事から帰ってきて、お腹が空いた赤ちゃんにお乳をあげているママの様子が目に浮かびます。
だから私はツイッターで時々、
「世界中の赤ちゃんを育てているママを、応援します!」
と言うようになりました。言わずにいられなくなりました。
私はマナと暮らすことで、ママを待っていた赤ちゃんが、ママの腕に抱かれて幸せそうにお乳を飲んでいる気持ちが想像できるようになりました。同時に赤ちゃんを誰かに預けて、仕事に行かないといけないママの気持ちも分かるようになりました。
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マナのお留守番の寂しさは、私が1番知っています。それは私がマナと暮らす前まで、アパートで1人で感じていた寂しさと同じです。
だからマナがフミフミしたいというなら、拒否などできようはずがありません。
思う存分どうぞ。
私が片手でご飯を食べれば良いだけの話のです。
ここから先は、食べ物のことで余談です。
私は過去に1度だけ、食べ物のことで、頭ごなしに怒られたことがありましたが。
今も覚えています。それくらいショックでした。
それは私が中学一年生の頃のこと――
ある日私が学校から帰宅すると、茶の間のテーブルの上に皿に乗った幾つものパンがありました。5個くらいはあったでしょうか。
自宅の裏庭をはさんだ道には、小さなパン屋さんがありました。
きっとそこのパンでしょう。
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私は何も考えず、そのうちの1個を手にとりました。
そこに1個だけしかなかったら、そんな気にはならなかった思います。
でも、沢山あるのだからと、つい――
私がパンをかじった瞬間でした。
「それはお父さんのパンなのに」という母の声が、背後から聞こえました。
それは、これまで一度も聞いたことのなかったきつい口調でした。
私はショックで何も言えませんでした。すると丁度部屋に入ってきた父が言いました「いいじゃないか食べてもいいよ」と。
でも、私は生まれて初めて聞いた、母の厳しい言葉に呆然と立ちつくしていました。
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小さな頃から、ご飯をお茶碗に入れて出すのは父が1番先でした。勉強でわからないことを聞くと「お父さんに聞きなさい」といつも父をたてる母の姿を見て育ちました。
しかし、このパンの一件はそれとは全く関係ないことだったように思います。
知らずにしてしまったことで怒られたことは、子供の心に大きなショックを与えるのだということを学びました。親の感情が子供に与える影響は大きいです。
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思えばあの頃は――
商売が嫌いな母が、父の始めた商売で苛つく毎日だった時期です。
母が感情で怒ったのはこの1度きり。
その後は亡くなる時まで、ずっと優しい母であったことを付け加えておきます。
次回はもうちょっだけご飯のお話を――
マナの猫用フードについてです。
――二人の未来を紡いでいこう(2/9)つづく――
作:あおい空
▶あおい空:記事のご紹介
構成:高栖匡躬、樫村慧
――次話――
子猫だった頃、マナは定番の子猫用フードしか食べず、調達が大変でした。
成長してからも、なかなかお気に入りが見つからず。
マナは食が細くて、臆病だったからです。
――前話――
マナがもう外にいかないように、わたしは窓の網戸を締めました。
「危ないよマナ、車来るよ」
網戸越しに外を見るマナに、囁き続けた1カ月。
マナは何かが変わったようでした。
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この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。
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――この連載の1話目です――
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