大切なあなたとの別れに想う
だれか大切なひとを失うと、ひとつ、またひとつ、白色に近づいていくんだって。
そんな話をしてくれたのはおばあちゃんだった気がする。
とても昔のことだから、ぼくの記憶が正しいのかはわからない。
だけどね、その話のことはよく覚えてるんだ。
まずね。声が思い出せなくなっていくんだって。
不思議だね。
亡くなる直前まで残るのは聴覚なのに、忘れてしまうのは声の記憶だっていうんだから。
ぼくの声を聞くと、いつも「どうしたの?」って聞いてくれたよね。
「いつも一緒にいるから」って、ぼくを抱きしめてくれたよね。
ぼくはきっと最期の最期。
この世から旅立つ一秒前まで、ずっとあなたの声を聞いていたいなって思うから。
胸に刻むから。
だからお願い。
ぼくの声、どうか忘れないでほしいなって思ってる。
それからね。顔が思い出せなくなっちゃうんだって。
写真とか動画とかがあるからさ。
見ればきっと思い出せると思うんだ。
だけど、見なくなったらどうだったかな?って悩んじゃうんだって。
ぼくの顔。
大好きだって、たくさん、たくさん写真や動画を撮っていたのを思い出すよ。
アルバムも作ってくれてたよね。
だからお願い。
ときどきでいい。
ぼくがいなくなったら、そっとアルバムを開いてほしい。
いつまでも忘れてほしくないからさ。
声と顔がわからなくなると、次は感触を忘れてしまうんだって。
たしかにそうなのかもしれないね。
いつも触っている大好きな毛布やボールの感触だって、触っていなければ忘れちゃうんだもん。
いなくなっちゃって、もう二度と触れなくなったらさ。
きっと忘れちゃうよね。
ぼくのこと、温かいって。
気持ちいいって、いっつも抱きしめてくれたり、なでてくれたりしたよね。
ぼくね。
大好きだったんだ。
あなたの手の感触。
やさしく、やさしくなでてくれたでしょ?
あの温かくて大きな手。
ぼく、きっと忘れないよ。
だからお願い。
ああ、心地よかったなって。
それだけでいいから思い出してほしい。
細かな感触が思い出せなくても、それだけでぼくはうれしいからさ。
こうやってひとつ、ひとつわからなくなっていくでしょ?
次はなんなんだろうっていうとね。
味なんだって。
味――
ぼくってどんな味がした?
ぼくの顔や手にいつもやさしくキスしてくれたでしょ?
ぼく、お魚くさかったかな?
そう言えば、一度言われたことあったなあ。
思い出したら笑えてきちゃったよ。
ぼくの口の周りについたお魚の味に、あなたがしかめっ面したこと。
「こんなにまずいの食べてたんだ」
って。
塩味とか醤油とかつけてない、そのまんまの味だったんだものね。
そりゃ、あなたからしたらおいしくなかったよね。
だからお願い。
ときどき、なんにも味のしないお魚を食べてみて。
そうしたら、きっとぼくの味だなって思いだせると思うから。
最後にね。
あなたが忘れてしまうものは匂いなんだって。
びっくりだよね。
匂いだけは記憶に色濃く残るんだね。
いつもぼくが使っていた毛布。
ぼくがいなくなったあとも、きっとあなたは洗わないんだろうな。
ぼくの代わりに毛布を抱きしめて、いっぱいいっぱい泣くんだろうな。
そう思ったら、胸がつーんとするよ。
「君の匂い、大好きだよ。お日様の匂いがするね」
って。
そう言って笑ってくれたほうがぼくはうれしいんだけど。
だからお願い。
泣いてもいいから、ときどきは笑ってくれる?
これ、ぼくの匂いだったなって。
大好きだよってまた笑ってほしいんだ。
こうやって忘れていってしまうことを考えると、あなたのとなりからいなくなった後のぼくは、白色じゃなくって透明になっちゃうのかなって思ったんだ。
だけどね。
忘れないものもあるんだって、ぼくは気づいたんだよ。
なんだと思う?
それはね。
思い出。
ぼくがいなくなっても、あなたの胸にはぼくとの思い出がきちんと残るんだよ。
よくボール遊びしていたよなとか。
川べりの公園まで一緒に毎日お散歩したなとか。
毎日、毎日一緒にいたでしょ?
毎日、毎日、たくさん笑ったでしょ?
そういうのはたぶん、ずっとずっと忘れないんだと思うんだ。
だからね。
ぼくらは白になるだけなんだって気づいたの。
透明にはならない。
あなたの中から、ぼくは消えてなくなることはないから。
でもね。
あんまりつらかったら忘れちゃってもいいんだよ。
ぼくを透明にしちゃってもいい。
ごめんね。
これは強がりだ。
本当は忘れてほしくなんてない。
ずっと、ずっと記憶にとどめていてほしい。
ぼくってとってもわがままだね。
あなたのしあわせを願っているのに、透明にはなりたくないって思っちゃう。
だから、せめて白色でいさせて。
声を、顔を、感触を、味を、匂いを忘れても。
思い出だけはそっと寄り添わせてほしいんだ。
ああ。
すごく眠い。
たくさん考えちゃったからかな。
それともいっぱいがんばってきたからかな。
だってね。
一分でも、一秒でもあなたのそばにいたかったんだ。
毎日あなたが泣くから。
だからあなたが泣かないですむように、ぼくね。がんばってきたんだよ。
「ごめんね。つらいよね」
そう言って、今もあなたは泣きながら、ぼくの頭をなでてくれてるね。
うれしいよ。
本当にぼくはしあわせものだね。
ぼくはやがて白になるけれど。
絶対に忘れないよ。
だからお願い。
笑ってほしいんだ。
これがね、ぼくの最期のお願いだよ。
「大好きだよ、私の――」
ああ。
とってもあったかいね、あなたの胸。
ぼくもあなたが大好き。
ずっと、ずっと――
心からあなたが大好きです。
また会いに来るよ。
あなたに絶対に会いに来るから。
あなたの子として。
そのときまでまたね。
ばいばい。
ぼくの大好きなお母さん――
――ぼくはやがて白になる――
作:紫藤 咲
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この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。
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犬派の僕が猫と暮らす理由
運命の日――
ぼくは猫を拾った。
犬派だった著者が、猫を拾ってからの悪戦苦闘を描くエッセイ。
猫のいない日常に、飼ったこともない猫が入り込んでくる話。
「ぼくらの物語はこの日から始まった」
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猫を拾ったら読む話
『猫を拾った』をテーマにした、エッセイのセレクションです。
猫を飼うノウハウ、ハウツーをまとめた記事はネット上に沢山あるのですが、飼育経験の全くなかった方にとっては、そのような記事を読めば読むほど、「大丈夫かな?」と不安になるはずです。
猫未体験、猫初心者の方に是非読んでいただきたいです。
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猫のストーリー
虹の橋の猫 まとめ読み 第1章
猫と飼い主のおかあさんの、いつまでも消えない心の絆を、猫の視点から描きます。
第1章は 銀の鈴
雉白の猫が、虹の橋の街に旅立つストーリーが描かれます。大好きなおかあさんを思い出す雉白の猫。
愛と絆と永遠のお話が始まります。
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紫藤咲の執筆作品