もう一度、うちの子がうちにくるまで(猫)|No.2 - 1
子猫の凪(なぎ)を迎えた頃、作者はひどいペットロスの中にいました。
作者にとって特別だった猫、わはにゃを、1歳の若さで亡くしていたからです。
リンパ腫で余命宣告をうけたわはにやは、奇跡の回復を見せますが、その喜びも束の間で、すぐに別の病気を発症してしまったのです。
家族が帰ってくる夜まで、涙に暮れる日々。
そんなとき、家族に一本の電話がありました。
今、ペットロスの最中である|苦しくて仕方がない|新しい猫を迎える勇気がない|次の子を迎えた方の心境は?|経験者のお話を聞いてみたい
我が家は猫の多頭飼いをしています。
総勢4匹の猫達です。今日はその4匹の中でも一番若くて、最近迎えたばかりの凪(なぎ)のお話をしようと思います。
まずは4匹のご紹介です。11歳キキ♂ &ララ♀ を筆頭に、6歳フォート♂、そしてまだ子猫の凪です。本当ならばここにもう1匹、2歳半を迎える、わはにゃ♀ がいたはずなのですが、わはにゃ今年2019年の5月14日に、2歳19日でこの世を去ってしまいました。
凪を迎えたときの私は、ひどいペットロスの中にいました。前述のわはにゃを亡くしてしまったショックが、大きかったからです。
ここからは、わはにゃの闘病を振り返ります。
わはにゃは1歳の若さでリンパ腫を患い、2ヶ月の余命宣告を受けました。しかし幸いにも抗がん剤治療が上手くいき、その後は完全寛解と言ってもいい程に経過は順調でした。
健康な猫と変わらず、元気に走り回るわはにゃ。
その姿を見て私も家族も安堵していたのですが、治療が終わってしばらくしてから、状況が一変しました。
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はじめは急に目やにが出始めて、元気がなくなりました。
病院で検査を受けると重度の貧血で、非再生性免疫介在性溶血性貧血という病気が強く疑われる状態でした。これは免疫系のエラーで、自分の免疫が自分を攻撃してしまう。やっかいな病気です。
立て続けの大病は、既往症であるリンパ腫が影響したのかもしれません。
そして、わはにゃの看取りの時は、突然にやってきました。
最初に目ヤニに気づいて受診してから、わずか1週間後のことです。
「その日」、日の出の時刻に状態が急変したわはにゃは、家族に見守られながら旅立っていったのです。あまりに急に病状が悪化したために、私たちは満足な検査も治療もしてやることができませんでした。
「その時」、何度か訪れたショック症状の最後の時――、わはにゃは傍に置いていた大好きなおもちゃを両手に抱えて、息を引き取りました。
号泣しながら、家族で笑ったことを思い出します。
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ほとんど覚悟が出来ていないままの愛猫の旅立ち。
完全寛解を遂げ、未来に希望を持てた矢先の出来事。
それまで何匹も猫を看取ってきましたが、わはにゃの死は違いました。私はそれまでに経験したこともないほどの、深い哀しみで満たされたのです。
2歳19日という若さだったからでしょうか?
いえ、それにも増して、わはにゃは私にとって特別な猫でした。
何が特別なのかと問われれば、言葉に詰まってしまうのですが、自分でも理由が分からないほど、私はわはにゃに格別の強い愛情を抱いていました。陳腐に思われるかもしれませんが、私にとっての運命の猫が、わはにゃでした。
ここから、私のペットロスの日々が始まりました。
私は主婦で、殆どが家に居る生活を送っていました。子供2人は高校生で、バイトや部活・塾で帰宅は20時以降。主人も帰宅は遅いです。
日々四六時中、私はどこにいても、何を見てもわはにゃの面影を探しました。わはにゃが最後に使っていた毛布を手にしては泣き、その哀しみから逃れられず、家族が帰ってくる夜まで、一人家で涙に暮れる。そんな毎日でした。
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幾ら時間が経っても、喪失感は一向に消えることはありません。
わはにゃを元気にしてあげられなかったこと、死なせてしまったことへの自責の念は、日々増幅し、私を苦しめました。
私が家族の誰よりもわはにゃと一緒に居たのだから、私が殺してしまったようなものだ――
苦しくて息が出来ず、胸が押し潰されて――
わはにゃを思う日々は、耐え難いものでした。
私を襲ったペットロスは、生活に支障が出る程に深刻なものでした。
そこで私は精神科を受診し、薬を頂くことになりました。
それでようやっと、少しぼーっと出来る時間が出来ました。
わはにゃの名前を呼び、涙を堪えながらの毎日は、相変わらずでしたが――
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希望が見えてきたのは、どこからか回ってきた、猫の供血ドナー募集しているリツイートを目にした時でした。
我が家のフォートが条件に全て当てはまり、病院もさほど遠くない所だったので、直ぐにツイート主の方にDMを送りました。そして次の日の昼に、供血ドナーのマッチングを受けました。
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結果は、少しだけ基準値を上回るもの(特に心配の要らない程度でしたが)があったので、その時はドナーにはなれませんでした。しかし供血猫というものの存在を知り、今後出来るそのボランティアをすることが出来ると思えたことは、私の中での大きな収穫でした。
わはにゃは助けてあげられなかったけれど、どこかで困っている病気の仔を助けることが出来るかもしれないからです。
奇しくもその日は、わはにゃが亡くなって3ヶ月目の月命日でした。
凪のお話をするつもりだったのに、わはにゃのお話が長くなってしまいましたね。
しかし、わはにゃの存在があったからこそ、凪が今我が家にいてくれるので、ここを語らない訳にはいきません。
さて、ここからがいよいよ凪のお話です。
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ある日息子に、友人から電話がかかってきました。
『子猫が1階ベランダに来ている、母猫が居ない』
とのことです。
何故息子に連絡が来たのかというと、我が家は以前から、子猫のミルクボランティアをやっており、そのことを息子の友人が知っていたからです。うちに連絡をすれば何とかなるだろうと思ったのでしょう。
電話が終わると、息子がすぐに迎えに行きました。
ミルクボランティアというのは、生まれたての子猫に、授乳から排泄までのお世話をしてあげることを言います。母猫がするように、1時間とか2時間おきにミルクや、離乳食を与えるのです。そうやって子猫を育てながら、里親が現れるのを待つのです。
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息子が連れてきた猫は、いつものようにまず体重を計りました。体の大きさや動き、歯の生え具合からして、生後1ヶ月過ぎているように思いました。
私たちは早速、その子猫のケアを始めました。
(次回につづく)
――凪がうちにくるまで(前話)つづく――
作:Rinyan
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――もう一度、うちの子がうちにくるまで(猫)・次話――
保護した子猫は、毎日大きくなっていきます。
「早く里親を探してあげなければ」
しかしそれは、難航しました。
子猫はめちゃくちゃに可愛いくて――
「我が家で飼うのが運命なのかもしれない」
しかし、ようやく癒えかけたペットロスの蓋が開くことが恐い作者でした。
――もう一度、うちの子がうちにくるまで(猫)・前話――
21歳と6か月生きた猫、ボスを亡くしたかあちゃん。
さみしい、さみしい、さみしい……
ついボスを探してしまう、毎日
そんな時、ボスが夢の中に出て来て言ったのでした。
『俺幸せだった次の子迎えて』
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この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。
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犬のもう一度、うちの子がうちにくるまで
先代犬との別れを経験した飼い主が、もう一度犬を飼おうと思う心の揺れを描写したエッセイです。
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捨て猫を拾ったらどうする?
猫未経験者が、突然猫を拾ってしまったお話(実話)です。
運命の日――
ぼくは猫を拾った。
犬派だった著者が、猫を拾ってからの悪戦苦闘を描くエッセイ。
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――当然、猫未経験。
「ぼくらの物語はこの日から始まった」