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【リンパ腫】突然の発症と診断 ~わはにゃを送る日(1/3)~【余命宣告】

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わはにゃを送る日:リンパ腫編
猫の看取り_わはにゃを送る日

撮影&文|Rinyan
 
この作品は

本作は2歳で旅立った猫、わはにゃの闘病記であり、作者自身の揺れ動く心の記録です。

ミルクボランティアをしていた作者が、自宅で引き取った子猫わはにゃ。
その子猫は作者にとって特別な存在でした。
『何があっても、この命を必ず守る』
そう誓う作者でしたが、ある日わはにゃは体調を崩してしまいました。
くしゃみ、そして咳――
軽い猫風邪かなと思い受診した作者でしたが、その後に医師から告げられたのは、意外な病名でした。

こんな方に:
飼っている猫がリンパ腫と診断された|余命宣告を受けた|どのような治療法があるのか?|経験者の体験談を読んでみたい

 はじめに - 私がこの闘病記を書く理由

2019年5月14日、私は自分にとって一番特別で最愛の猫、わはにゃを亡くしました。まだ2歳になったばかりでした。

わはにゃは2018年に『悪性リンパ腫』を患い、闘病の末にそれを克服しかけていました。その矢先のことでした。

わはにゃの命を奪ったのは、既往症のリンパ腫ではなく、極度の貧血でした。恐らくは『非再生性免疫介在性貧血』であったと思われますが、発症からわずか8日のことでしたので、確定診断もできておらず、したがって対処的な治療をわずかに行った段階での別れでした。

わはにゃの病気の経過は、とても珍しいことのように思われます。
いつか誰かのお役にたてるかもしれませんので、わはにゃ病気の経過を記事として残しておこうと思います。また同時にこの記事は、わはにゃという猫を迎えてから、わずか2年で看取ることになってしまった飼い主の、心の記録でもあります。

 

 わはにゃを迎える 

まずは、わはにゃを迎えたときの話をします。
わはにゃは保護猫です。ある日息子の友人が「捨て猫が3匹居る、どうしよう?」と、息子に電話をかけてきました。何故我が家だったかというと、我が家は以前からミルクボランティアをやっていたからです。

ミルクボランティアというのは、保護されてきた生まれたての子猫に、授乳から排泄までのお世話をしてあげることを言います。因みにミルクは3、4時間おきに与えなければならず、排泄は都度なので四六時中見てあげなければなりません。

3匹の猫たちに、ひとまず我が家で保護することにしました。

会ってみると、猫達はもう生後1カ月を過ぎていましたので、付きっきりのお世話は必要ありません。そこですぐに里親探しを始めました。

私は里親が決まる前に、子猫に仮の名前を付けてあげました。
黒ちゃん、白っちゃ、わはにゃです。
わはにやは友達のあだ名です。なんとなく顔が似ていたのです。

3匹のうちオスの兄弟、黒ちゃん、白っちゃの2匹は、直ぐに里親が決まりました。残るメスのわはにゃ1匹。しかし、わはにゃは思うように行き先が決まりませんでした。
検討してくれた友人が2人居ましたが、どちらも真剣に悩んてくれたのですが、うまくご縁が繋がりませんでした。

なかなか里親さんが決まらない中で、私の心にはちょっとした変化が起き始めました。実を言えば、その仔猫には初めから特別な思いがありました。
あまりの可愛さに「里親を探してあげなければ」と思う気持ちの一方で、「この仔を手離したくない」という気持ちも芽生えていたのです。

 

 私にとって特別な子でした 

わはにゃは三毛猫の柄がちょっと他のネコとは違っていて、そして独特な顔がとても愛らしい。甘えん坊かと思いきやスンとしていて、それでいながら少し鈍臭くて、間抜けなところがあって、それがとても愛らしい。
ご飯を上げるときには、可愛い顔とは裏腹に食いしん坊過ぎて、誰にも取られまいと唸りながら食べる。

私はそんなわはにゃの姿に魅了されて、次第に心が奪われていきました。
そして私はとうとう、里親探しを止めることにしました。
「やはりうちの子に」
その思いに、迷いはありませんでした。
当時は既に3匹の先住猫がいましたが、4匹飼うことにもハードルを感じませんでした。

私が幼い頃に飼っていた犬猫は、ペットショップに行って親が選んで買い与えてくれました。しかしその後に飼ったのは、皆捨て猫で、縁あってうちにきてくれた子たちでした。
「うちの子に」と思ったその時の感覚は、きっとペットショップや譲渡会などで『あ、この仔だ』とインスピレーションが湧くのと、同じだったように思います。

わはにゃの名前は仮のつもりだったのですが、愛着があってそのままになりました。
こうして”わはにゃ”は、正式にうちの子になりました。

実を言うと、わはにゃを迎えると決めた時、我が家は絶望の中にいました。
本話の趣旨と違うので詳しくは書きませんが、ある不幸な出来事が我が家を襲っていたのです。

止め処なく泣いたり、沈んだり、怒ったり――
そんな繰り返しで、気持ちのやり場のない日々を過ごしているなかに、わはにゃはヒョンと舞い降りた天使でした。

わはにゃという光は、我が家を一気に明るく照らしてくれました。

『何があっても、この命を必ず守る』
その気持ちは、私の誓いとなって、まさに私が生きる原動力となりました。
わはにゃは私にとって、欠かすことが出来ない存在になったのです。

 

 異変が…… 

そんな愛おしいわはにゃに異変があったのは、2018年11月の中旬です。
1歳と半年を過ぎた頃、わはにゃはくしゃみから始まり咳をし始めました。
寒くなってきたし、軽い猫風邪かなと思い動物病院に連れて行きました。

当初の咳は猫風邪を疑うレベルの軽いものでしたし、呼吸音にも目にも異常ははありませんでした。
「とりあえず、抗生剤を飲んで様子見しましょう」
と言われて、帰宅しました。

それからもわはにゃの症状は改善しませんでしたし、それどころか悪化していくようにも見えました。時折、発作のように咳が続くようになったのです。

私はわはにゃが苦しんでいる姿に、心を痛めました。
「もしかして、死んでしまうのかもしれない」
そんな嫌な予感が頭をよぎるのですが、食欲はいつも通りありましたし、遊びの催促もしてきます。
「抗生剤飲んでいるから大丈夫。治る」
私は心の中でそう自分に言い聞かせながら、医師の言葉通りに、わはにゃの観察を続けました。

わはにゃが急変したのは、受診から4日ほど過ぎてからでした。
急激に呼吸が悪化し、お腹で呼吸し始めたのです。

その日は折り悪く病院が休診でした。
私は希望を持ちたい。元気になると信じたいという気持ちがまだ大きく、わはにゃに「大丈夫だよ」と声を掛けながら、また自分自身にも言い聞かせながらその日を過ごし、次の日朝一番で受診しました。

いつもは淡々と診てくれる先生なのですが、呼吸が苦しくなっているわはにゃを見て、ただ事でないと察したのだと思います。すぐにレントゲンを撮り、それから血液検査と、慌ただしく診察が進んでいきました。緊迫感を感じました。

諸検査が済むと、私は診察室に呼ばれました。
医師はレントゲンの映像を見ながら、「縦隔型リンパ腫である可能性が高いです」と言いました。「はっきり言って、この病気は治る見込みはありません」とのことで、運よく症状が良くなっても寛解→再燃を繰り返すとても厄介な病なのだそうです。

それから医師は、続けざまに厳しい状況を語りました。

――抗がん剤治療しても猫の寿命年数(10年~20年)を生きることはまず無い。
――今の腫瘍の大きさ場所からすると、気管をかなり潰している。
――最悪突然死があるやもしれない。
――ステロイドを飲むことで腫瘍は一時的に小さくなる。
――しかし、それがずっと効くわけではない。
――2ヶ月保つか?

 

 余命宣告 

「抗がん剤治療は副作用など考えると積極的に勧められない」
と医師は言いました。辛い薬を投与し、そのまま死んでしまう仔がいるのも事実だそうです。

「抗がん剤治療で、余命を2ヵ月から6ヶ月に延ばすことが出来たとしても、果たしてそこまでして生かすかは疑問を感じる」
とも言いました。縦隔型リンパ腫の最期は、腫瘍が気管や肺を潰して大きくなるので、終始首を絞めあげられてるような状態になり、非常に苦しいのだそうです。

そしてもう一つ――
「そのような状況に陥った場合は、安楽死を考えてあげたほうがこの仔の為」と――
この病気は、この病気は深刻だという事です。

私は泣きながら先生のお話を聞いていました。
先生の言葉が頭の中を巡りました。
余命宣告――、長くはない。
抗がん剤治療――、副作用で辛い思いをさせてしまうかもしれない。
もしかすると突然死も……

そして最期の苦しみを想像すると、我が身が切り刻まれる思いでした。

検査で少し暴れたわはにゃは、チアノーゼを起こしてしまいました。唇が紫に息も絶え絶えです。愛するわはにゃが、目の前でここまで苦しんでいる姿は初めてでした。

「もしかして、死んでしまうのかもしれない」
そう思っていたわはにゃの命は『余命2ヶ月』という言葉によって、”かもしれない”という曖昧なものから、『死』という現実に変わっていきました。

 ここまでの時系列は以下のようになります。

11月10日ごろ、軽いくしゃみ
11月18日(日)咳
11月20日(火)受診。抗生剤10日分。点鼻薬も処方。
 ――1週間様子見、何かあったら来てくださいとのこと。
11月24日(土)お腹で呼吸し始める
11月25日(日)受診。諸検査。リンパ腫の可能性。

 

――リンパ腫・闘病に続きます――

――わはにゃを送る日(1/3)|突然の発症と確定診断――

作:Rinyan
  

――次話――

愛猫わはにゃに告げられた病名は、リンパ腫。
そして余命の告知。
『何があっても、この命を必ず守る』
そう誓ったはずだったのに……
はじめは、緩和治療だけを行うつもりでした。
しかし私はセカンドオピニオンの中に、小さな希望を見つけたのです。

週刊Withdog&Withcat
この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。

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『猫のリンパ腫~統計とリスク因子~』について

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『猫のリンパ腫②~病因と挙動~』

『猫のリンパ腫②~病因と挙動~』について
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発生した場所ごとに書いているので、照らし合わせてみて下さい。

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