わはにゃを送る日:リンパ腫編
愛猫わはにゃを、悪性リンパ腫と診断された作者。
『何があっても、この命を必ず守る』
その誓いが守れないことに、打ちひしがれます。
そして、様々な思いを抱えながらの闘病がはじまりました。
愛猫が苦しまないように、積極的な治療はせず、緩和治療だけを行いたいと考えた作者でしたが、セカンドオピニオンの中に、小さな希望を見つけるのでした。
飼っている猫がリンパ腫と診断された|余命宣告を受けた|どのような治療法があるのか?|抗がん剤医療は有効か?|セカンドオピニオンを受けた方が良いか?|経験者の体験談を読んでみたい
耐え難い現実
診察室を出てからも、ただただ目から涙が溢れ続け、待合室でも人目を憚らずそれは止まりませんでした。
『何があっても、この命を必ず守る』
わはにゃを迎えたときの私の誓いは、その日打ち砕かれました。
わはにゃの未来に――、それもそう遠くない未来に、苦しい死が待ち受けている現実は、耐え難いものでした。
私は、わはにゃの苦しみを取り除いてやれない。
何もしてやれないんだ――
成すすべがない悔しさと、こんな病気にさせてしまった申し訳無さで、私の心は一杯でした。
闘病のはじまり
色々な思いを胸の底に押し込みながら、わはにゃと私の闘病が始まりました。
まずは腫瘍科(腫瘍専門認定医Ⅱ種の居る)のある病院へ、セカンドオピニオンを聞きに行きました。専門医とかかりつけ医との間では、わはにゃが縦隔型リンパ腫であるという診立ては同じで、その予後についてもあまり相違がありませんでした。
しかし専門医からは、抗がん剤治療をしてみることを勧められました。
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「縦隔型リンパ腫は猫白血病陽性の子が多いのですが、わはにゃちゃんは陰性です」
と医師は言いました。腫瘍が発見された時点で、胸水などの症状が無いこともその判断材料だったようです。
「まだ腫瘍が小さい(この時点で4㎝×2㎝)ので、今叩けば寛解の希望を持てるのではないか」ということでした。
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当初私は、わはにゃに苦しみがないように、積極的な治療は行わず、緩和治療だけを行ってやるのが、1番良い選択ではないかと考えていました。しかしこのセカンドオピニオンで気持ちに変化がありました。希望を持てる要因があるのならば、抗がん剤治療をしてやりたいと考え始めたのです。
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抗がん剤治療をするとなって、次に考えたことは、実際の治療をセカンドオピニオンを受けた病院にするか、長年つき合いのあるかかりつけ医にするかということ。
まずはかかりつけ医に、抗がん剤治療をして頂けないか相談をすることにしました。
かかりつけ医は何年も診て下さっていて安心があり、何より患畜に負担を過度に強いるような治療や検査は行わない方でした。私たちはそれをわはにゃに望んでいました。
治療方針の決定
かかりつけ医と相談を重ねた結果、方針が決まりました。
先生は負担の少ないプロトコールを調べてくださり、リンパ腫の中でも縦隔型リンパ腫にある程度効果が高く、治療期間も13週で終わり費用もそこまで掛からず副作用もあまり出にくいという、イリノイ州立大学が開発したCOPLAを提案してくださいました。
正確に言うとわはにゃが受けたものは、COPLAをベースに改良されたもので、COPLAが78日を標準とするのに対して、投薬の順序が違っていて、13週で終わるものになっていました。
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そしてもう一つ決めた方針がありました。
抗がん剤の副作用があまりにも大きいようなら、中止するという前提です。
私たちはそれを了承し、結局かかりつけ医で治療をすることにしました。
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多剤併用化学療法(複数の抗がん剤を効果的に用いる)を行うための治療計画のことを言います。COPLAの他にも標準的に用いられるUW25や、HC-HDCなどがあり、患者の容態や飼い主のライフスタイル、費用面などから選択されます。
UW25を選択した猫の闘病記は下記にあります。
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初めは週1回の通院です。懸念していた副作用はほぼ無く、元気に過ごしていました。闘病が始まる前と同様に、おもちゃで遊ぶ催促をし沢山遊びました。
幸いにも食欲は落ちることは無く、沢山の美味しい物を食べさせていました。
元々がとても食いしん坊なので、毎日のお薬の後のご褒美ちゅーるも喜んでいました。
完全寛解か?
やがて、ドキソルビシンという強い抗がん剤が始まり、3週間置きの通院になりましたが、副作用は感じられず、病気を患ってる子とは思えない普通の1歳の猫と同じでした。
多頭飼い故の苦労もなく、お薬の後のご褒美ちゅーるは、みんなで喜んでいました。
猫同士の運動会も、わはにゃは1番若い猫なのでいつも通りみんなを追いかけていました。闘病中なのにとても楽しい毎日でした。
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治療開始から2ヶ月の時点で、再度レントゲンを撮ったところ、腫瘍がほとんど見えなくなっていました。肺も気管も横隔膜も綺麗に写っていましたので、先生は「とても良い状態で、腫瘍をコントロール出来ている」と仰いました。
その後の治療の過程では、何度か白血球や血小板の値が基準値外だった為、抗がん剤投与の延期がありました。血液検査の結果が治療適応の基準値外ですと、抗がん剤投与が数値が改善するまで延期になるのです。
(その他、レントゲンの撮る前にも延期したことがありました)
前述のようにわはにゃが選択したプロトコールは、予定通り投与出来れば13週で終わるものでしたが、12月10日から始まった治療が終了したのは3月25日でした。
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一番懸念していた副作用が無く、元気にQOLを保ったまま治療が進んだことには、とにかく安堵の一言でした。
そして何よりも、あれだけ恐れていたリンパ腫を、ほぼ完全寛解と言ってもいい状態まで持ち込めたことは、これ以上ない喜びでした。
ただ――、頭から離れないこともありました。
リンパ腫が再燃することだけは、とても怖かったです。
喜び――、そして小さな予感
その後のわはにゃは、プロトコール後の血液検査も無事にクリアしました。
しかし、えづくような咳がみられたので念のためにレントゲンをお願いしました。
医師によれば「咳が出るような所見はないし、2月に撮ったレントゲンよりも綺麗になっていています」とのこと。リンパ腫は寛解状態であるとの所見に変わりはありませんでした。
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この時には、嘔吐中枢をぐっと抑える薬を処方されました。
嘔吐中枢と咳中枢の作用機序が近いので、「この薬で治るようなら胃炎が考えられます」とのことで、「治らないようなら詳しく調べましょう」と言われました。
食いしん坊のわはにゃは誰よりも食欲がありましたので、胃炎と聞いてあまりピンとこなかったのですが、お薬を飲んでからは、えづく咳は治りました。
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2週間経った頃に、わはにゃが軽いくしゃみと咳を1回づつしました。
少し心配をしましたが、その1回だけで、とりたてて異常はありませんでした。
こうやってわはにゃは闘病前の状態に戻り、いつも通り元気なままで、2歳を迎える事が出来ました。一緒に『令和』を迎えることが出来たことは大きな喜びでした。
――非再生性免疫介在性貧血編に続きます――
――わはにゃを送る日(2/3)|リンパ腫・闘病――
作:Rinyan
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――次話――
抗がん剤治療によって、リンパ腫はほぼ完全寛解。
健康を取り戻し、元気に走り回るわはにゃ。
しかし、喜びも束の間でした。
わはにゃには別の病気の影が忍び寄っていたのです。
悪化していく貧血――
私はわはにゃの身体を撫で、さすり続けました。
――前話――
私が迎えた子猫わはにゃは、私にとって特別な存在でした。
『何があっても、この命を必ず守る』
そう誓った私でしたが、ある日わはにゃが体調を崩しました。
くしゃみ、そして咳――
軽い猫風邪かな?
しかし医師から告げられたのは、意外な病名でした。
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この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。
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猫のリンパ腫を更に知るために
『猫のリンパ腫③ ~症状~』
『猫のリンパ腫③ ~症状~』についてです。
猫のリンパ腫について場所別に症状を書き連ねています。
場所ごとに現れる症状は異なりますが、リンパ腫に特徴的という病変はあまりありません。
おかしいなと思った時に病院で検査をしてあげるのが良いでしょう。
『猫のリンパ腫~診断とステージ分類~』
『猫のリンパ腫~診断とステージ分類~』についてです。
診断といっても、他の腫瘍と格別特殊といったわけではございません。
きちんと症状を確認し、病変部位の細胞を観察して、必要な検査を行います。
基本的な検査をきちんと行うことが大切です。
『猫のリンパ腫~治療法と予後~』
『猫のリンパ腫~治療法と予後~』についてです。
リンパ腫の治療法で最もよく行われるのが『抗がん剤治療』です。
抗がん剤にたくさんの種類と作用があり、それらを組み合わせて成績の良い治療を選択していきます。
猫のリンパ腫の種類と発生部位別に紹介します。
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