文:はくたく
苦い経験がある。
ある年の台風の過ぎ去った早朝。俺は犬の散歩中に子猫を拾った。
最初は猫だと分からなかった。白黒ブチのその子猫は、掌にすっぽり収まるくらいに小さく、色も形もまるで紙くずそっくりだったからだ。
道の真ん中にうずくまっていたにもかかわらず、連れていた二頭の犬……サクラとモモが色めき立たなかったら、気づかずに通り過ぎていたかも知れない。
拾い上げても声も出さず、反応はほとんど無い。
だが、意識はハッキリしているようで、ちゃんと目を開けてこちらを見た。
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我が家は二匹の犬がいて、妻は猫が大嫌いで、その影響を受けたのか、息子も娘も猫が嫌いだ。要するに自宅で猫を飼える状況ではないのだが、一度拾ってしまったからには、放置もできない。
俺はその子猫を懐に入れて、自宅へと連れ帰った。
朝飯の支度は俺の仕事だ。それ以外にも犬の餌やり、ゴミ出し、家族を起こすなど、バタバタと忙しい。子猫には車の中に常備している釣り用の大型バケツに入っていてもらい、出勤してから獣医に連れて行こうと思っていた。
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朝の時間はいつになく忙しかった。
前日に出張だったせいもあって、決裁事項がかなり多かったのだ。すぐに獣医に行くつもりが、会社を出たのはもう十時近く。だが、今の状態では餌もトイレも何もない。
よってそのまま真っ直ぐ獣医には行かず、すでに開いていたホームセンターに立ち寄ってそれらを買いそろえた……のがまずかった。
それによるロスタイムは、おそらく三十分くらいだっただろう。
だが、その間に子猫はうずくまる姿勢に耐えられなくなり、横倒しになってしまったのだ。
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あきらかな衰弱。呼吸も荒い。目の焦点が合っていない。
慌てて獣医に駆け込んだが、もう手の施しようがなく、その数時間後には息を引き取ってしまったのであった。
出勤前に、獣医師をたたき起こしてでも診てもらうべきだった。などと、後悔しても後の祭りである。失われた命は、もう決して帰らないのだから。
彼の死因は『重度の風邪の症状と風雨にさらされたことによる衰弱』と診断された。
だが、検査はしなかったものの、猫ジステンパーか猫パルボなどの伝染病に罹患していた可能性も高かったと獣医師は言う。病気になったので捨てられたのかも知れない、と。
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もし、そうであれば少しばかり早く獣医師に連れて行っても、結果は変わらなかったかも知れないということだ。
だが、仮にそうであったとしても、助かる可能性はゼロではなかったはずだ。
生後一ヶ月程度の子猫にとって、水も餌もなくタオルにくるまれただけの車内に数時間、というのはいかにも長かった。
早朝というタイミング、家族の状況、仕事の忙しさ、これらをもってやむを得ない状況だった、などというならば、そもそも拾わなければよかったのだ。
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この時の失敗を繰り返してはならない。そうでなくては、あの子猫の死は無駄になる。次につなげなくてはいけないのだ、と俺は思った。
猫を拾ったら、まずどうするべきなのか。
状態が悪い猫(猫に限らないが)を拾ったら、何をさておき一刻でも早く、信頼できる獣医師に診せる。これが、最善のことだと思う。
その一年後。俺はまた子猫を拾った。
今度は茶虎。時刻は夕方。そして今度もまた、生後一ヶ月くらいの子猫はうずくまり、動けなかった。子猫の目はヤニでびっしりで、見えていなかったのだ。
勤務時間中ではあったが、デスクワークは明日に回せば帰社の必要はない。夕方からの客先との宴会も毎月のもので、急用ができたと言えば良い。
俺はすぐに会社と客先に連絡を入れ、子猫を連れて獣医に向かった。
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子猫は、入院が必要と診断された。だが、思ったよりも症状が軽く元気で、伝染病の可能性は低いという。どうやら命の危険は無いとのことだった。
俺は胸をなで下ろした。だが、もし持ち帰って明日獣医師に連れて行こうなどと考えていたらどうなっていたか。少なくとも脱水症状は進んでいたに違いないし、病状も悪化していただろう。
命が助かった、となって次に問題になったのは、彼の処遇であった。
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前述したように、家族は猫嫌いで自宅には持ち帰れない。入院期間の一週間ほどで、なんとか飼い主を探すこととなった。もしダメならどうするか。この時、俺は密かに勤務先で飼おうと覚悟を決めていた。
勤務先は田舎にあって、毎年秋になると野ねずみが社内を闊歩するから、これの防除の名目だ。それで時間を稼ぎ、勤務先を通じて最終的な引取先を探す。というわけだ。
だがその二日後、獣医師からの電話で、あっさり問題は解決した。
獣医師のもとに通っていた、ある方の猫が老衰で死んだのだ。
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次の猫を探していた飼い主さんに、獣医師が子猫を紹介してくれて、その方が快く引き受けてくださったのである。
俺は入院費用を払い、前回の子猫のために買っておいたトイレとバスケットを渡して、その子猫とは永遠の別れとなった。
入院中の顔を見に行くと、目やにのとれた子猫は、見違えるほど丸く可愛くなっており、ほんの二時間ほどのつきあいの俺に、愚かにもすり寄ってきた。俺は飼い主じゃないんだ。すり寄るのは、飼い主にしろ、と言って、さよならした。
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縁があれば、また会える。というのが俺の持論である。
あの日死んだ子猫がいたから、今日助かった子猫がいて、助かった子猫がいたから、巡り会えた飼い主がいる。縁があるならば、また俺のもとに子猫がやって来る日があるはずだし、そうしたらその時は、ベストを尽くして飼ってやりたいと思うのである。
文:はくたく
――次話――
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この記事は、週刊Withdog&Withcat【2017.12.10版】に掲載されています。
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