犬派の僕が猫と暮らす理由撮影&文:紫藤 咲
「入院しないとまずい状況です」
そう言われたときには頭が真っ白になった。たしかに考えなかったわけではない。
ねこさんの衰弱具合は鈍いぼくでもわかるくらいにはひどいものだったからだ。
それでも、どこかで入院は回避できるのではないか? と思っていた。
さらに言えば、この後に続く言葉を全力で否定したかったのもある。
「肺が真っ白なんだ。肺炎だね」
先生は神妙な面持ちでそう告げた。今まで見たこともない切迫した表情が、緊急度の高さをうかがわせた。
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肺炎――これだけは回避したくて頑張ってきたはずなのに、結果的にぼくは彼を肺炎にさせてしまった。
どこで間違えたのかをぐるぐる考えた。もう少し早く病院に連れてきていたら、こんな状況にならなくて済んだのかもしれない。そうやってぼくが今まで辿ってきた道を振り返りもした。
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「とにかく入院して、今できることをやりきるしか道がない。でも入院が嫌なら、通院して看取るという道もあるよ。これは飼い主さんが決めることだけど、どうする?」
一瞬、ぼくは言われている意味がわからなかった。特に『看取る』という言葉だ。
それはすなわちねこさんの『死』を意味していた。病院を出てからじっくり考えて、ようやく飲みこめた言葉だった。
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そんな状況のねこさんは全身を使って、苦しそうに呼吸を繰り返していた。診察台の上で、ただじっとしている。
身じろぎせずにうずくまっている彼の背をなでてやる。パラボラアンテナのプラスチックが邪魔で、頭をなでてやることができなかった。
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「あの……注射を打ったその日の夜から具合が悪くなったんです。昨日休診だったから、一日待ったんですが、待たずに相談して連れてきていたらよかったんでしょうか?」
こんな質問をするぼくに、先生は「いや」と否定の言葉を口にした。
「昨日診ていても、この状況は変わらなかったよ。もっと言うとね。診せる時期の問題じゃないんだ。どんなに早く対応しても、ダメなときはダメなんだ。それに飼い主さんの問題でもない。きみは一生懸命やってくれたと思うよ。肺炎の原因も複数ある。細菌なのか、誤嚥なのか、それも調べてみないことにはわからない。その上で、きみがこれからどうするかを決めてほしい。助かる保証はないよ。それでもどうするか」
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助かる保証はない――
その言葉で思い出したのがハットリくんの言葉だった。もしも治療費が莫大にかかったとしてどうするのか? 助けるのか? やめるのか? そんな質問をされたことが頭を掠めていった。
あのとき、ぼくは笑って『助けないかも』と口にした。それを心の底から後悔した。そんな言葉を口にしたから神様が怒って、ぼくに試そうとしているのかもしれない。
命を拾っておいて簡単に捨てるようなことを言ったから、その重みを知らしめるために神様が用意したのかもしれないと、そんなことも思った。
「できるだけのことをしてやってください! それでダメなら……そのときにまた考えます」
できるだけの治療をしてもらおう。お金はかかるかもしれない。助からないかもしれない。ダメだと言われたら、看取らないといけない未来も、現実あるかもしれない。
それでも、ぼくはあきらめたくなかった。たとえ他の誰もが助からないと、彼を見捨てたとしても、最後の最後までぼくだけはあきらめてはならないと、そう思っての選択だった。
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「うん、わかった。できるだけのことはする。でも、命の保証はしないからね」
「はい。それでもやるだけやってから、あきらめたいです」
先生は大きく頷いた。
苦しそうなねこさんを見て、ぼくは泣きそうになっていた。
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ここまで彼を苦しめたのはぼくだ。
ぼくが体重増やしに躍起にならずに、早めに抗生剤を投与してもらえていれば……
目の治療よりも風邪の治療を優先させて、パラボラアンテナ状態なんかにしなければ……
夜間救急に連れて行っていれば……
休診でも先生に相談していれば……
ぼくが選択してきたことがすべて裏目に出てしまっていたのではないかと思ったら、悔しくて仕方なかった。
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これ以上の間違いはしたくない。
「先生。ひとつ、お願いがあります」
これ以上の後悔をしたくない。
「カラーを外してやってください。せめて治療中、楽に寝られるように……」
パラボラアンテナが重たくてうまく休めなかった彼を思い出して、そう伝える。すると先生は「うん」と大きく頷いた。
「気持ちはよくわかるよ。外しておくね」
「ありがとうございます」
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ねこさんを先生に預けて、ぼくは空っぽになったカプセルホテルを持つと診察室を出た。一緒に帰れないことが、こんなにつらいと初めて知った。
ひなさんが去勢手術したときも、歯石とりの手術をしたときも、これほどの気持ちにはならなかった。だって2度と会えないかもしれないなんて思ったこともなかったから。元気になることが前提だったから。
だけど今回はそうはいかない。ねこさんが戻らない可能性がある。それはずっとずっと確率の高い現実だった。
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「紫藤さん」
受付をしている先生の奥さんに名前を呼ばれる。重たい足を引きずるように受付にいくと、カウンターごしに1枚の紙を差し出された。
『同意書』
仮に亡くなることがあっても仕方ありませんという旨の書類だ。ひなさんの手術でも記名した。そのときは躊躇なく書けたのに、このときは本当に名前を書きたくなかった。
仕方ないことなんて思えるわけがない。ぼくはねこさんの死を受け入れられずにいた。
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「入院するのに前もって五千円いただきますが、よろしいですか?」
「はい、大丈夫です」
入院費は後で支払うことになる。そのための手付金を支払うのだが、支払いは彼が助かっても、亡くなっても発生するものである。
できるなら前者であってほしい――そう心から祈りながら、ぼくは五千円を支払った。
「よろしくお願いします」
「大切にお預かりします」
深々頭を下げて、ぼくは獣医さんを後にした。
そして、空っぽのカプセルを助手席に置いて、やりきれない気持ちを抱えたまま家路についたのだった。
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(余談)
――ひとつの命をつなぐこと(3/10)つづく――
作:紫藤 咲
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――次話――
肺炎のねこさんを入院させて家に帰ったぼく。
ハットリ君から電話があった。
これからの治療について話しあうぼくたち。
治療費のことも気になるが、命にはかえられない。
やがて主治医にある疑心が湧いてくる。
もしかして、医療ミス?
――前話――
霊感を持つ友人のハットリくんが言う。
「死相が消えないな」
その言葉通りに、悪化していくねこさん。
大好きなタオルの上で寝なくなった。
そして、じっとして動かない。
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この記事は、下記のまとめ読みでも読むことが出来ます。
この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。
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――本クールの第1話目(1/10)です――
友人から、エアコンが駄目だと聞かされたぼく。
猛暑でそれはない、うちには犬もいる。
そこで高めの28度設定に――
だが、盲点があった。
猫に有害な除湿をしてしまっていた。
そして、ねこさんの容態は悪化していく
――本連載の第1話です――
運命の日――
ぼくは猫を拾った。
犬派だった著者が、猫を拾ってからの悪戦苦闘を描くエッセイ。
猫のいない日常に、飼ったこともない猫が入り込んでくる話。
はじまりは、里親探しから。
――当然、未経験。
「ぼくらの物語はこの日から始まった」
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