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ソーニャが教えてくれたこと ~それからの章(1/2)~ 【思い出とペットロス】

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「その日」がくるまで生きようず! 
~闘病中の飼い主さんには、こうしてあげて欲しい~
ソーニャが教えてくれたこと

撮影&文|miyakonokaori (本記事は2017年に執筆されたものです)
 

飼い主の住む東京は土砂降りの雨。
ですが今日は朝から、二回、洗濯機を回しております。

理由はもう何も言わずともおわかりいただけますよね…
(「はーい、チーでちー♪」←猫くんの突っ込み)

飼い主お気に入りのキルトケットは、チーするのに最高に気持ちよかったようです。

今回はおトイレで我慢するでちが、
テオは広い大草原でチーしたいでち…ふぅ

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どうかチーは狭いおトイレでしてください

そんなこんなの幕開けとなった一日。
おトイレにチーをしてくれなかったことは残念ですけれど、猫兄妹が元気で楽しそうにしていてくれるのは実にありがたいことだとしみじみ思います。

ここのところ、飼い主の周囲では病気がわかったり、天使になってしまったり、
――の子たちがいて、ソーニャの闘病時代を思い出すことが多かったので、この機会に思うことなどを少し書き記してみます。

 

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ソーニャのことを経験したこともあって、病気になった子についての相談をされたり、「ただ聞いてほしい」と、話をしてくださることがこれまで少なからずあります。

そんなときは、ソーニャの闘いがしっかりと受け継がれるのを感じ、嬉しく思います。

またそのソーニャの闘いは、それまでに病気と闘ってきた猫たちや、飼い主さんたちから学ばせてもらったことを実践したものでした。

ですから先輩たちの「生きたい」「生かしたい」気持ちに応えるように、最後まで頑張ってくれたソーニャを誇らしく思います。

今だから言いますが、私たちは失格飼い主でした。

ソーニャが健康だったのをいいことに病院に行くこともなく、食事についてもほとんど気に掛けたことがなかったですし、ましてや猫にサプリをとらせるなんて考えたこともありませんでした。

今まで病院とは無縁だったソーニャが患ったはじめての病気が、不治の病・悪性リンパ腫。見つかったときはステージⅤまで進行していました。亡くなって三年半が経ちますが、今でも「どうすれば病気にならなかっただろうか」と思うことがあります。

答えはでるはずもありませんが……考えずにはいられません。

 

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病気がわかってからはとにかく情報がほしかったです。
だから検索しまくりました。

「リンパ腫が治りました!」
という言葉を見たかったんです。

でもそれは無理だとわかりました。
リンパ腫は「治る」ということがない病気。

だったら残りの時間をどう穏やかに過ごさせてやれるか、に変えるしかない。
覚悟を決めてからはそこに向って三人六脚で走り切った……ように思います。

だから闘病に関しては、私自身には後悔はまったくありません。

そんな気持ちになれたのは、もちろんソーニャ本猫の力がいちばん大きいのですけれど、いっしょに闘病を支えたAちゃん、できる限りの手を尽くしてくださった獣医師のⅠ先生のおかげも大きかったです。

そして何よりも、ブログにエントリをあげると、「頑張れ」とコメントを寄せてくださったり、アドバイスをくださった皆さんにはどれほど力をもらえたことか……。

もちろんコメントはソーニャにも伝えていました。
それであの子は二月の危機を乗り越えてくれたと今でも思っています。

 

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ですが、今だから……お話ししますね。
中には「頑張れ」ではない言葉もありました。

例えば、こんなことがありました。

その方は、とてもソーニャを気にかけてくださっていたのだと思います。
悪気はなく、むしろ親切な気持ちしかなく――
そのお気持ちはとてもありがたかったです。
そして、その方は、毎日のようにメッセージをくださいました。

そこには、ありがたいアドバイスやお気遣いいっぱいの言葉にあふれていて、私はとても励まされてきたのですが、徐々にその内容が変わっていきました。

あなたの病院の治療方針は間違っている。
癌の権威の先生に診せる段取りをつけたからそこへ行け、と、
こちらの都合を考慮してくださらず、命令に近い文言へと変わっていきました。

行けるものなら行ってみたかったです。
が、ソーニャの病状を思うと、その先生のいる病院は遠すぎましたし、病院で何時間も待つストレスを与えたくはありませんでした。

それに……ソーニャは治る見込みがありませんでしたから、
私たち飼い主は「できるだけ穏やかな時間を過ごさせる」ことを最優先に考えていました。

それ以後も何度もそこへ行けとメッセージをいただいたのですが、行く決断はできませんでした。
「ソーニャちゃんのために、忙しい先生にわざわざ時間を取ってもらったのに無駄にした」とお叱りを受けた時は、ただ謝ることしかできなかったのを覚えています。

いちばん悲しかったのは、ソーニャが亡くなったあとの最後のメッセージにあった、
「ソーニャちゃんが苦しんでいる夢ばかり見ます。○×先生に診てもらえたら楽になってもっと生きられたのに。あなたがソーニャちゃんの命を縮めたのです」
という言葉でした。

 

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ここからの私の考えは、不快に感じられる方もいらっしゃるかと思います。
が、あえて、正直に書きます。

その方はⅠ先生の治療方針を、かなり疑問視していらっしゃいました。
私も、治療の方針はもしかしたら他にもあったかもしれないと思うことはありましたが、その疑問を上回る信頼をⅠ先生はじめ、かかりつけの動物病院の皆さんに感じていましたので、最後までソーニャをお任せする気持ちが揺らぐことはありませんでした。

Ⅰ先生は最後までソーニャの腫瘍を小さくすること、生かすことを諦めませんでした。
それがこちらに伝わってきたからこそ、飼い主も、もちろんソーニャ自身も頑張れたのです。

大嫌いな車移動も、つらい抗がん剤や点滴も、ソーニャがⅠ先生を大好きだったから、最小限のストレスで乗り切れたのは飼い主にはわかっていました。

あえてブログにはそこまで書かなかったので、「車移動も病院も平気な子」と受け取っていらっしゃったなら、ソーニャの最期を「転院の勧めを断った飼い主のせい」と言われても仕方ないことと思います。

 

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闘病中のぺットが命の終わりを迎える場所は大きくは二ヵ所、「家」か「病院」のどちらかです。

それを考えた時、もし病院でとなったら――
癌の権威の先生のところかⅠ先生か、ソーニャはどちらが安心して逝けるだろう?

答えはひとつしかありませんでした。
リスクを越えて遠い病院へ行き、治療をして少しだけこちらにいる時間が伸びたとしても、最後の最後に後悔するのは嫌でした。

これは飼い主のエゴかもしれません。いや、エゴですよね…。
幸い、ソーニャはおうちで、しかも私の腕の中で旅立ちましたから、その心配もいらなかったわけですが。

ソーニャが天国へ行ったことを報告したとき、電話の向こうで「……悔しいです」と泣いてくださったI先生の声を聞いて、こんなにもソーニャを生かそうとしてくれた人が担当医で、ソーニャは最後までほんとうに幸せだったなと思いました。

ソーニャを思ってのご厚意を無下にしてしまったことは申し訳ないのですが、「幸せだった」そう最後に思えたことで、やはりこれが最善の決断だったのだと納得することができました。

 

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そんな経験があって――

闘病の相談を受ける中で私が心掛けていることは、治療法であれ、生活面であれ、
「○○すべき」という強要はしないということです。
いろんな選択肢があって、その中でどうするか決めるのは飼い主さん自身なのですから。

選択肢が増えるのは良いことですから、
「うちはこうしたよ」と経験を話すことはたーーくさんしますが。

リンパ腫や癌、FIPといった、ソーニャと同じ「不治の病」の子の飼い主さんからの相談では、必ず伝えるようにしていることがあります。

それは――

「とにかく『そのとき』が来たら『ありがとう』で送れるよう、後悔をしないように過ごすことが大事」

ということです。

ソーニャを亡くしてからのペットロスは相当なものがありましたけど、
「ありがとう」を最後に伝えて後悔なくいられたことは救いになりました。

遺される者に後悔を残さないことが最高の旅立ち方である、とソーニャに教えてもらいましたから、それはしっかり伝えていきますよ。

 

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闘病中のペットのいる飼い主さんにかける言葉、といえば、もうひとつだけ。

私がいただいた言葉は、ほとんどはありがたく、うれしく、そしてパワーの源になるものでしたが、どうしても聞くのがつらかった一言がありました。

それは「すぐに治るよ」です。

まあ、使い方次第、の言葉ではあるのですけれど…。

ソーニャは不治の病でしたから、治ることはないのはわかっていました。
「寛解」といって腫瘍を一時的になくすことは可能ですが、それは「治った」とはいえないんです。
「病院で治療すればすぐに治りますよ」という言葉は励ましにはならず、余計に悲しかったですね…… 

今言うなよ!って話ですが。

でもなあ、「奇跡が起きて治っちゃえばいいのに」という言葉には力をもらいましたから、やっぱ使い方次第だな。

 

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――と、長くなりましたが、闘病中ペットの飼い主さんへの接し方や、かける言葉としては、次のようなことを思いました。

飼い主さんへの接し方
① 経験を話してアドバイスをしても、飼い主にはそれぞれ事情があるので正しいからといって強要はしないでほしい
② 安易に「治るよ」とは言わないでほしい

闘病中のペットの飼い主さんご本人に対しては、次のことを。

飼い主さんへご本人へ
① ペットが「ここで亡くなっても構わない」と思える病院にかかってほしい
② いろいろ調べてたくさんの選択肢を持ち、その中でいちばんペットに合っているものを選んでほしい
③ 遅かれ早かれいつかは「そのとき」がくるので、目の前にいる子を大事にして、最後のときは「ありがとう」で送ってあげてほしい

……と、いうことを言いたかったのですYO!
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なげーえYO! 数行で済むじゃねーかYO!!

あら、ソーニャちゃん、お久しぶりー。
いつも守ってくれてありがとNE!

 

――それからの章(1/2)――

文:miyakonokaori
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――次話――

4月21日の配信予定です。
(変更の場合があります)

――前話――

まとめ読み|「その日」がくるまで生きようず!⑱
-天使の章・それからの章(2/2)

この記事は、下記のまとめ読みでもご覧になれます。

週刊Withdog&Withcat
この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。

――この連載の1話目です――

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――出典――

※本記事は著作者の許可を得て、下記のブログを元に再構成されたものです。

 

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