私の空、マナ 15話
「マナちゃんはエイズです」
医師からそう告げられた後は、私の頭の中は真っ白でした。
どのようにアパートまで戻ったのかも覚えていないほどです。
丁度この日は、私の1ヶ月に1度の通院の日でしたので、私はその予定を入れていました。
雪はそんなに積もっておらず、自転車で行くことに――
●
病院に行く道の途中には、いつもなら軽く上がる154段の階段の付いた急な坂道があります。しかしこの日ばかりは、マナのことでの動揺と心痛で、上がれるかどうか自信がありません。私はその坂に差し掛かると、頂上を見上げました。それから腹心の友、自転車のエリザベスのハンドルに顔をうずめました。
「エリザベス頼んだわよ」
そう言って意を決した私は、坂を漕ぎ上り始めたのでした。
――通院している病院に着きました――
待合室に座っていたら、私の順番がきて、診察室によばれました。
私は椅子に座るなり、主治医に「飼っている子ネコがエイズなんです」と話しました。
たった一言だけ、口をついて出た言葉でした。
でもそれで、私の張りつめた心は決壊してしまったようです。人前で泣いたことのなかった私が、しゃくるように泣いてしまいました。
「ペットロスか」
そう主治医は言いました。ペットロスは、ペットを亡くした時にだけなるものではないのだと、その時私は知りました。
●
この日は、主治医に予定がぎっしり入っていたので、それほど時間がありませんでしたが、主治医は後で電話を掛けても良いと言ってくれました。
私は家に戻ってから主治医に電話をして、「すみません」と謝って、マナのことを少し話しました。
●
私は夕方を過ぎても、何も口にすることができませんでした。
マナにエイズの診断が下ったときから、私が考えていたことは一つです。
『避妊手術をすれば、それが引き金になって、マナがエイズを発症するかもしれない』つまり、マナが亡くなってしまうかもしれないということです。
避妊手術は1週間後――
「短すぎる」と思いました。それはマナといられる時間が、あと1週間しかないかもしれないということです。
私はつらくて、つらくて、どうかなりそうでした。
マナのいない生活など、どうして耐えられるでしょうか?
●
ひとり部屋で声も出さずに流す涙は、とまりません。
日暮れ時も過ぎたであろう頃、ショートメールが入ってきました。
リアル猫友さんです。
マナと暮らし始めた1週間後、高熱を出して寝込んだ時に「マナちゃんは貴女のことをよくわかっているんだよ」と言ってくれた人です。
●
私はこの日の午後、本当はお友達と会う予定だったのですが、そんな気分にはとてもなれません。お断りしたのですが、そのお友達からマナのことを聞いたのだそうです。
ショートメールの短文のやりとりでしたが、猫友さんからは、要点をを押さえた的確な返事が返ってきました。
――これが、ショートメールでのやりとりです――
まなちゃんのこと聞きました。悲しいね。私も何か役に立てることがないか、考えてみます。
まさかマナがの一言でした。心強いです。ありがとう。
▼
――ここで、しばらく時間がたちました――
▼
体力をつけてあげるのが良いみたいですね。無症状のまま生涯を終える子もいるそうですから、今あまり悩まずに、暖かくして今までと同じようにお世話してあげれば、マナちゃんは十分幸せを感じられると思います❗
明日お会いできるのを楽しみにしていましたが、熱はどうですか?
▼
――猫友さんは一生懸命、慰めと励ましの言葉を送ってくれました――
▼
今日は疲れましたが大丈夫です。避妊手術の際に発症して亡くなる事があると医師に言われました。
▼
手術は、暖かい季節まで、延期はできないのですか?
というのも、昔飼っていた猫たちが、手術のすぐ後に命を落としたのです。
べつに手術を急ぐことなかったのにと、今は思います。先生が急いだのです。
だから、「少し考える時間をください」で良いのでは?
▼
○○さんの経験で本当に助かります。何となく25日の手術は嫌な感じがしていたので少し気が楽になりました。
▼
▼
今日はゆっくりお休みなさい☆
――ここまで――
このショートメールのやりとりを今見て、私がなんと冷静なのかと思われるかもしれませんが、実際には頭は真っ白錯乱状態です。でも彼女の答えが私を落ち着かせてくれました。
●
彼女は実家を離れて一人暮らししていますが、私は1度ご実家に遊びに行ったことがあり、お母さまも知っています。その時、わんちゃんが玄関にいました。
お母さまのお話では、何年も前には、捨てられたネコさんを保護して飼っていらっしゃった時期もあったそうです。
このわんちゃんは、飼い主さんが事情でどうしても飼えなくなり、お母さまが引き取られたのだそうです。大きな体をした柴犬の雄で、本当におとなしい子です。私は少しだけ、廊下でボール遊びをしてあげました。
帰り際は眠っていました。私は眠っているわんちゃんに顔をくっつけました。と大きな体で「くーくー」という寝息。安心感に包まれていました。
●
猫友さんの言葉は、私の心に残りました。
『昔飼っていた猫たちが、手術のすぐ後に命を落としたのです』
『べつに手術を急ぐことなかったのにと今は思います』
それは彼女が幼い頃に、お母さまが保護したネコさんで経験したことだったようです。
●
このショートメールのやりとりの最中、私は決めました!
「避妊手術はやはり先に延ばそう」
そして私は、安心して眠りについたのでした。
――二人に舞い降りたものは何?(5/10)つづく――
作:あおい空
▶あおい空:記事のご紹介
構成:高栖匡躬、樫村慧
――次話――
――前話――
●
この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。
●
――この章の1話目です――
――この連載の1話目です――
――おすすめの記事です――