私の空、マナ 25話

マナが外に興味を持ち出した頃のお話しに戻りますね。
思い出します――
ベランダに出ても、すぐに地面に降りなかったマナをよいことに、窓から外を一緒に見ていたあの日。
洗濯物を干す時に初めて窓から外に飛び出したマナ。
「マナがいなくなった」と半泣きでドキドキしながら外に出て名前を呼ぶと、ほふく前進で私の横に来たあの日。
スペシャリストさんの親切な諭しをいただいて、自分への約束として、今後は絶対に網戸は開けないと決意したあの日。
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それからは網戸を閉めたまま、「マナ危ないよ、車来るよ」と言い続けました。
そして1ヶ月間――
マナは、私の気持ちを理解するようになりました。
マナの反応が変わってきたのです。
私はマナを試しました。自信があったのです。
マナはそれから、地面に降りても、私の一言ですぐに戻ってくるようになりました。
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もちろん私のしたことには、問題が無いわけではありません。
マナが猫エイズに感染しているネコだということ。
そして避妊手術を受けないことにしたこと。
恐らく、これを読んでいる方々の中には私を非難する方々も多い事でしょう。
私は記事を書くと決めた時に、その事を承知していました。
でも、いつかは書かなければいけないことだと決めていました。
いつも私は思います。
『猫が本来持つ欲求を、人は奪っているのではないか?』
ということを。それは尽きない論題。そして迷いです。
それはきっと、今の時代だからこそ出てくる問題ですね。
道路は舗装され、町中から田舎風の古い家屋はどんどん無くなり、庭も狭くなりました。昔は玄関や外に犬小屋があり、そこには鎖で繋がれていた雑種犬がいたものです。
しかし今は、血統書付の犬が部屋の中で暮らす時代です。
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ここで疑問がわきます。猫は繁殖力が強い動物なのに、なぜ昔はそれほど増えなかったのでしょう? 猫人口が爆発していてもおかしくななかったはずなのに――
疑問に思うと、やはり検索しかありませんね。
『昔の猫の暮らし』で検索をしてみました。
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ネコの文化
日本猫は元々愛玩用ではなく鼠狩りの益獣として輸入されたため、家で飼われるより外で暮らすことが多かったとの見解もあり、室町時代の幸若舞には京都で猫が自由に外を徘徊している模様が記述されている。しかしながら江戸時代初期までネコがなかなか繁殖せず、貴重な動物として扱われていた
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なるほど、私が抱いたネコの繁殖についての疑問は、少し解けてきました。しかしまだ完全ではありません。そこで、検索ワードを変えてもう一度調べます。
昔の猫ならば、当然野良猫です。
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猫の年齢と寿命
屋外で暮らさなければならない野良ネコと人間に室内で飼われているネコの寿命には、歴然とした差がある。多くの天敵や事故・怪我・病気やそれに伴うストレスに晒されており、大学機関や自治体関連部門によれば野良ネコの寿命は3年から5年といわれており、その大半が子ネコの内に死亡する。
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室内飼いのネコの平均寿命は15年前後と言われていますので、野良猫の3倍ですね。
何となくここで分かってきました。
猫エイズだけでなく、他の病気や飢餓や事故、確かに外で暮らす猫は危険がいっぱいです。色々と調べてみると、ネコを長生きさせる方法も書かれていました。室内飼いの場合は、キャットフードを選んだり、ストレスの軽減や予防接種が寿命に影響するそうです。去勢・避妊手術も猫のストレスを軽減する方法だと書かれていました。
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ここで、ネコのスペシャリストさんの言葉は真実だと気がつきました。
猫の保護活動をしていらっしゃるので、病気やケガなど、外で暮らすネコの悲惨な状態を毎日のように見ていらっしいますからね。
さて、私の抱いている疑問、『猫が本来持つ欲求を、人が奪っているのではないか?』についてに話を戻します。
私が取った行動は、少しでも自然の風や土や草の香りを感じてほしいと、ベランダの窓を開けてマナの様子を見るということから始まりました。
やがてマナは、ベランダから外に降りても、私が小さな声で名前を呼ぶと必ず部屋に入るようになりました。
それを見て私は思ったのです。
『マナが自分で、私と暮らすことを選んでいる!』と。
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少しだけ、付け加えさせて下さいね。
私は周囲に猫の姿が無いことを確かめてから、マナが外に行くことを許したことを。
感謝すべきアパートのベランダの横は道ではなく、隣のアパートの4台の車の駐車場に行く人とその車だけであると言うことを。
そして何よりも、マナが私の想いを理解したという自信が持てたということを。
少しずつ準備をしていったこと――
決して無鉄砲に、マナを野に放ったわけではないのです。
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それ以後、私は確信が持てました。
猫は自分の意志を持つ生き物なんです。
私はそれを、マナに教えてもらいました。
今、窓が開いていても、ベランダの柵を下りなくなったマナがいます。
「貴方に感謝しています」
この言葉をぜひお伝えしたいです。
猫のスペシャリストさんに――
マナと共にーー
――二人の未来を紡いでいこう(4/9)つづく――
作:あおい空
▶あおい空:記事のご紹介
構成:高栖匡躬、樫村慧
――次話――
マナはFIVと診断されたけれど、マナへの気持ちは変わりません。
『マナは運命の子、私はいつもマナと一緒』
マナには1つだけ、FIVではない可能性が残されていました。
陽性だった結果が、陰性に変わる可能性――
――前話――
子猫だった頃、マナは定番の子猫用フードしか食べず、調達が大変でした。
成長してからも、なかなかお気に入りが見つからず。
マナは食が細くて、臆病だったからです。
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この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。
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――この章の1話目です――
マナがもう外にいかないように、わたしは窓の網戸を締めました。
「危ないよマナ、車来るよ」
網戸越しに外を見るマナに、囁き続けた1カ月。
マナは何かが変わったようでした。
――この連載の1話目です――
初めての一人暮らしで選んだのは、長屋風の安い物件でした。
テレビも洗濯機もなく、私のボンビー生活がスタートしたのです、
気づけばそこは、不思議なアパート。愛すべき隣人たち。
でも、2年が過ぎた頃にはもう――
私の淋しさは限界でした。
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