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【非再生性免疫介在性貧血】さようなら、わはにゃ ~わはにゃを送る日(3/3)~【看取り】

わはにゃを送る日:非再生性免疫介在性貧血 看取り編
猫の看取り_わはにゃを送る日

撮影&文|Rinyan
 
この作品は

リンパ腫はほぼ完全寛解。目覚ましい治療成果を喜ぶ作者。
しかしながら、愛猫わはにゃには別の病気の影が忍び寄っていました。
数日前に一回だけした、軽いくしゃみと咳はその前兆だったのか?
刻々と容態が悪化していくわはにゃの体を、作者は沢山撫でてさすり続けるのでした。

こんな方に:
飼っている猫がリンパ腫と診断された|余命宣告を受けた|どのような治療法があるのか?|抗がん剤医療は有効か?|セカンドオピニオンを受けた方が良いか?|経験者の体験談を読んでみたい

 新しい異変

わはにゃは、抗がん剤治療の終了から1ヶ月経って検査を受けました。
問題はありません。経過は順調でした。
わはにゃは相変わらず、健康な猫と変わらずに元気に走り回っていました。

しかし、長いゴールデンウィークの最中のこと――
わはにゃは急に目やにが出始めて、少し元気が無くなってしまいました。
折り悪く、かかりつけ病院はお休みです。

家で様子を見ていたのですが、休みが明けた頃にはわはにゃはぐったりとした状態になっていました。驚いてすぐに病院へ――
わはにゃには熱があったので、何らかの感染症ではないかということで、抗生剤で様子を見ることになりました。

しかし抗生剤では、わはにゃの状態は改善することはなく、やがて食欲はあるのに固形のものを食べれなくなってしまいました。
歩けてもすぐ横たわります。そして嘔吐もするように――

 

 貧血状態 - 非再生性免疫介在性貧血の可能性

病院へ行って血液検査をすると、わはにゃは貧血状態にありましたが、その時点ではまだ深刻なものではありません。

しかし、その日の夜に先生から電話があり、『非再生性自己免疫介在性貧血』の可能性があると告げられました。

「非再生性自己免疫介在性貧血?」
聞いたこともない病名でしたが、自己免疫不全によって起きる難病です。

非再生性免疫介在性貧血 闘病記

カニヘン・ダックスフント、チョコラッの闘病記です。
この病気(非再生性免疫介在性貧血)は、自己免疫不全で起きるもの。
だから、最初はそうだと分かりません。
なんとなく調子が悪い……
まずは病名が確定するまでのお話から。

『非再生性自己免疫介在性貧血』の確定診断には長い時間がかかりますので、それを待ってはいられません。まずは免疫を抑制して、炎症を治める必要があります。

わはにゃは翌日(5月11日)の朝にステロイド、制吐剤、肝臓薬を処方され飲み始めました。ステロイドは許容される最大量です。
食欲の振るわないわはにゃには、この日から強制給餌も始まりました。
食いしん坊だったわはにゃを思うと、心が痛みました。

 

ステロイドが効かない

ステロイドを飲んでからも、わはにゃの熱は一向に下がりませんでした。40度もの熱のために、食欲はほとんどありません。私は先生から言われた通りに、栄養価の高いものを食べさせ、脱水に気をつけるようにしました。トイレに行く時と水を飲む時には、ヨタヨタ歩きでした。

貧血の症状は見られませんでしたが、私は不安に駆られて、夕方になって再度病院へ連れて行きました。

医師の診立ては「脾臓が腫れている」とのことでした。血液を作るために脾臓が頑張ってるのだそうです。

しかし――、ステロイドが効かないとなると、かなり悪い状態です。
2割程の仔はステロイドが効かず、そうなると経過が厳しいのだと言われました。

夜遅くになると、わはにゃの呼吸が早くなりました。
見れば肉球や歯茎と鼻が真っ白になっています。ここにきて私は、貧血の症状を目の当たりにすることになりました。わはにゃの目は虚ろな状態で、まるでもう生きていないかのように見えました。

私の頭の中を『死』と言う言葉がよぎりました。
「今夜の山を越せるだろうか?」
不安になりながらも、私はわはにゃの身体を、沢山撫でてさすり続けました。

 

 一時の改善、しかし――

朝方(5月12日)のことです。とても嬉しいことが起きました。

わはにゃが自分で歩いて餌場まで行ってので、食べるかなと思って給餌すると少しですが食べてくれました。肉球も歯茎も鼻もピンクがかってきて、目もハッキリしてきました。

昼――、わはにゃの熱はまだ下がっていませんでしたが、給餌をしてみると食べてくれました。嘔吐もありません。

歯茎や鼻がどんどんピンクになってきました。
「ステロイドが効いてきているんだ」
私は昨夜の峠は越せたのだと思い、安堵しました。

少し動くと苦しそうにしましたが、呼吸も安定してきました。

一夜が明けて、5月13日の朝方になり、やっとわはにゃの熱が下がりました。

しかし喜びも束の間でした。
わはにゃはおしっこを漏らすようになり、そしてまた貧血がみられるように――
昼の給餌の時には、口の中に入った物を飲み込められなくなりました。

心拍、呼吸数共に安定はしていましたが、用意している寝床の毛布の上ではなく、暗がりの冷たい所へ行くようになりました。 

 

 ある覚悟

階段を下るように状態がわるくなるわはにゃ。

もうトイレに行くことも出来ません。
私はわはにゃを撫でながら、声を掛け続けました。

「大丈夫だよ、怖くないよ」
「ずっと側にいるよ、絶対大丈夫だよ」
「愛してるよ」
私は我が子が良くなることを信じていました。絶対に良くなると。
涙が溢れることもありましたが、わはにゃには「大丈夫だよ」と、必死に愛情を込めて語りかけました。

その日(13日)の夜のこと、わはにゃの体に異変が起きました。

すごい勢いで――、まるで全身の力を振り絞るかのような声を出しながら、胃液を吐いたのです。呼吸が一気に荒くなりました。

動かそうとすると、わはにゃは力無く鳴き、力無く抵抗しました。
もしかすると――
このまま別れになるかもしれないと、私は思いました。
しかし脳裏のもう一方では、縦隔型リンパ腫で亡くなるより楽なのかもしれないとも思いました。

私は主人にラインを送りました。
わはにゃの状態は、もはや引き返せるものではないことは明らかでした。
刻一刻と呼吸も浅く早くなっていきました。
すぐさま主人が帰宅。
救急に連れて行こうと抱っこした時でした。
殆ど鳴く元気などなかったわはにゃが、鳴いて全身で抵抗しました。

私はわはにゃを抱きしめました。
「そうだね、嫌だよね、ごめんね」
この時、私は覚悟を決めました。

このまま、わはにゃを看取ってやろう。
わはにゃが大好きな我が家で、家族で最期の時を迎えよう。
幸せな空間を作ってやろう。
幸せな時間を過ごしてやろう。

主人もわはにゃに付きっきりでした。

 

 わはにゃを送る日

――日付が変わり(5月14日)――

先住猫の中で、1番わはにゃと仲良しだったお兄ちゃんのフォートは、終始わはにゃを見守ってました。子供達もわはにゃの側に集まってきました。

日の出の時刻に、わはにゃはショック症状を起こしました。
それはとても強い全身の痙攣で、寝かせていたケージの柵に足や頭を強打する程のものでした。とても痛そうで、苦しそうに見えました。

痙攣は一度はおさまりましたが、それからも何度かやってきました。
一度主人がさすってあげようとしましたが、その手を振り払うようにショック症状を再度起こしたので、声を掛けてあげることよりも、さすってやるよりも、少しでも苦しまずに逝けるようにとただそれを祈りました。

私たちは「ありがとう」「偉かったね」とずっと声を掛けてながら、わはにゃが落ち着いて逝けるように見守り続けました。

やがて別れの時が訪れました。

最後の痙攣の時、わはにゃは傍に置いていた大好きなおもちゃを両手に抱えました。
息を引き取ったのは、その直後でした。

わはにゃらしい別れ。
号泣しながらも、家族で笑ったことを思い出します。

わはにゃが急変してから、わずかに1週間。
何の覚悟も出来ていないまま、元気になることだけを信じての看病でした。

苦しんだのは、ショック症状が始まって最期の10分くらいだったと思います。
医師によれば、多分最期は多臓器不全に陥ったのではないかとのことでした。

これはわはにゃの貧血の経過です。

GW中 急に目やに、少し元気が無い
5月6日(月)発熱。貧血症状は現れていない。
 ――抗生物質を処方される
5月10日(金)血液検査
 ――数値は猫なら耐えられる許容範囲とのこと
 ――夜になって医師から電話。免疫系疾患による貧血を示唆
5月11日(土)ステロイドの処方
 ――この日の夜になって、目に見えて貧血症状が出る
5月12日(日)一時快方へ
5月13日(月)熱が下がるものの、夜になって急変
5月14日(火)早朝、家族に見守られながら他界

――わはにゃへ――

「大丈夫だよ 怖くないよ ずっと側にいるよ」
「愛してるよ」
病院へ連れて行くたびに掛けていた言葉。

出来ることならわはにゃ、あなたをもう一度抱きしめたい。
そしてもう一度、同じ言葉を伝えたい。

「大丈夫だよ 怖くないよ ずっと側にいるよ」
「愛してるよ」

あなたは私の宝物。愛しいあなたと過ごせた2年は何ものにも変えれない日々。
我が家に来てくれてありがとう。
可愛いわはにゃ 愛してるよずっとずっと。

 

――わはにゃを送る日(3/3)|非再生性免疫介在性貧血編|おわり――

作:Rinyan
   

――前話――

愛猫わはにゃに告げられた病名は、リンパ腫。
そして余命の告知。
『何があっても、この命を必ず守る』
そう誓ったはずだったのに……
はじめは、緩和治療だけを行うつもりでした。
しかし私はセカンドオピニオンの中に、小さな希望を見つけたのです。

週刊Withdog&Withcat
この記事は、下記の週刊Withdog&Withcatに掲載されています。

――この連載の1話目です――

私が迎えた子猫わはにゃは、私にとって特別な存在でした。
『何があっても、この命を必ず守る』
そう誓った私でしたが、ある日わはにゃが体調を崩しました。
くしゃみ、そして咳――
軽い猫風邪かな?
しかし医師から告げられたのは、意外な病名でした。

 猫の非再生性免疫介在性貧血を更に知るために 

【ペットの病気図鑑】
今回は『非再生性の貧血を考察してみた』です

本症例はRinyanさんのニャンコ、わはにゃちゃんです。
本猫は診断も半ば、治療の甲斐なく亡くなってしまいましたが、この子の命を無駄にしないよう、全身全霊をかけて考察しました。
誰かの猫ちゃんのお役に立ちますように。

 本闘病記に関する医療的な分析(オタ福氏による検証)

免疫介在性貧血の場合、原因不明でいきなり発症する『特発性免疫介在性貧血』と全身性エリテマトーデスなど重度の炎症が起こった後に発生する『続発性免疫介在性貧血』とがあります。

本症例の場合、状態が安定している中で急に貧血と発熱を起こしていますので、特発性のNRIMA(非再生性免疫介在性貧血)が最も疑われますが、検査を行っていないため、何とも言えません。
(発熱に関しては、別に感染症があってそれに気づけなかった可能性も捨てきれませんが、室内猫であったことと、抗がん剤治療を行っていた直後で、衛生感覚はシビアだったと思われることから可能性は低いと思われます)

もう一つの可能性として、実は骨髄の中にリンパ腫が浸潤しており、骨髄機能自体が破壊されてしまった可能性もあります。この場合は『骨髄癆(こつずいろう)』という状態です。
見かけ上はNRIMAと同じ状態になるので、本症例の時点では区別はつかななったはずです。

結果論となりますが、本症例は高熱と脱水を確認して、NRIMAと(仮)診断した時点で、早急に輸血と免疫抑制剤の投与を行い、病気の峠をしのげば別の展開もあったかもしれません。しかしながら感染症が内在していた場合は、免疫の低下は全く逆の展開も招きかねないために、いずれにしても難しい選択であったと思われます。

――オタ福――

 同じ作者のエッセイです

愛猫わはにゃを送った作者が、子猫の凪(なぎ)を迎えることになったエピソードです。

凪がうちにくるまで|1/2

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リンパ腫を寛解した矢先でした
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凪がうちにくるまで|2/2

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