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【室内野良の猫】思い出の猫たち、出会いと別れ ~みーみーと4匹の猫たち(1/3)~

みーみーと4匹の猫たち

撮影&文|ちゃりちゃり風太 扉の写真は『みーみー』
 
このお話は
13年前の節分の日、臆病でビビリの野良猫を家に連れ帰りました。すでに家には5匹の猫がいたのですが、その日はとても寒くて、放っておけなかったのです。最年少の新入り猫は『みーみー』と名付けました。
時がたち、去っていく猫もいれば、やってくる猫もいます。今や『みーみー』は、我が家の猫たちの最年長。皆から一目置かれる存在になりました。しかし『みーみー』は13年もの間ずっと、室内で野良のままです。
さて、『みーみー』と我が家の猫たちのお話をご紹介していきましょう。3話連載です。

 我が家には、みーみーと4匹の猫がいます

我が家には現在、5匹の猫たちがいます。
一番歳かさの『みーみー』を筆頭に、『じゅじゅ』『亀子』『ガリガリくん』『パコ』という結構な大所帯です。

5匹のうちの2匹、『みーみー』と『パコ』は室内野良です。どういうことかというと、この2匹は飼い主の私にさえ触る事を許さないのです。名前を呼べば返事をするし、ゴハンもおねだりするにもかかわらずです。これは2匹の性格もあるでしょうし、保護した時の状況がそうさせてしまったのかもしれません。

さてこれから、『みーみー』のお話を軸にしながら、我が家の猫たちの様子をお話していこうと思います。

我が家の5匹の猫は、最初から今の構成だったわけではありません。
私はずっと以前から猫と暮らしていて、1匹が去ると1匹が来ると云う感じで、いつも5匹くらいの猫が側にいました。現在の長老猫は『みーみー』で推定14歳。そして『みーみー』は通算で15匹目の猫です。
今いる子たちは幸い病気もせず元気ですが、それ以前の子の中には具合の悪い子もいて、気の休まらい時も少なくはありませんでした。

 

『みーみー』との出会い

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室内野良の『みーみー』

 

『みーみー』と出会ったのはもう13年も前のこと――

当時、職場の駐車場の端で、近所の方が野良ちゃん達にご飯をあげていました。
すると当然ながら、ご飯時になるとポツリポツリと猫たちが集まってきます。
しかしその輪に入れなくて、ご飯にありつけない猫がいました。白地にトラが入っている毛柄の子。いつも車の下に隠れていて、仲間達がお腹一杯になって散って行ってから、運よく残った僅かのご飯を拾うのです。

とても痩せていて、可哀そうになった私は思わずその子のためにドライフードを置いてあげました。しかし周りに猫がいないにも関わらず、出てきて食べることも出来ないほどのビビリでした。

半年程して寒い中放ってはおけないと、連れて帰ることを決めました。
2008年2月の、節分の日のことでした。

 

その当時の我が家は

『みーみー』が来た当時、我が家で一番歳上だった『ちゃりちゃり』

 

その時既に、家には5匹の先住猫がいました。

当時の先住猫たち(2008年2月)
ちゃりちゃり(16歳)、るう(15歳)、風太《♀》(9歳)、まん月(5歳)、チロ(5歳)

先住猫との相性は特に気に掛けず、楽観していました。それまでも猫は増えたり減ったりしていましたが、新しくきた子もすぐに馴染んで、トラブルになった事がなかったからです。

家に帰るとゲージにキャリーごと入れて1日過ごし、翌日病院へ。健康診断と同時に避妊手術もしてもらいました。推定年齢は3歳でした。

「名前はどうしよう?」
幾つか候補を考えて呼んでみたところ、『みーみー』にだけ反応してくれたので、それが名前になりました。

 

室内野良の始まり

これは『ちゃりちゃり』です

 

『みーみー』にはしばらくゲージ生活をして貰って、慣れてきたらフリーにしようと思っていたのですが、一向に慣れてくれません。更に様子を見に来る先住猫に対しては片っ端に威嚇するので、ここで初めて「どうしたもんかな?」と考えはじめました。

結局『みーみー』は、他の子が側にいない隙にそっとゲージから出て来て、すぐに納戸部屋の押し入れの奥へ駆け込みました。それ以降は、ご飯にもトイレにも出てきません。

押し入れから棚、タンスへと移動していく『みーみー』。
これが室内野良生活のはじまりでした。他の子は『みーみー』を見には行くのですが、追いかけたりはしません。お蔭で喧嘩も起きませんでした。

仕方なく『みーみー』専用のトイレを納戸部屋に置いて、ご飯も運んであげるようにしました。

室内野良となって唯我独尊の『みーみー』でしたが、それも閉じられた家の中でのことなので、段々と『みーみー』を加えた、小さな猫社会が出来上がっていきました。

『みーみー』がうちに来て、数か月が過ぎた頃のことです。
夏のはじめに『ちゃりちゃり』が体調を崩しました。『ちゃりちゃり』は一番年上で、皆んなのお兄ちゃんのような存在。とても穏やかな子でした。

何となく元気が無いことに気付いた私は、『ちゃりちゃり』を連れて病院へ。
しかしこの時には、特に異常も見つからず、漢方の栄養剤を貰って帰ってきました。

 

『ちゃりちゃり』との別れ

これも『ちゃりちゃり』です

 

8月に入ると『ちゃりちゃり』は食欲が落ちて、一人でいる事が多くなりました。
最初は納戸部屋の押し入れの上段で過ごしていましたが、8月中旬過ぎには上段に上がれなくなったのか、下段の収納ケースの上へ。そして遂には床へ――

『ちゃりちゃり』はあまり構われたくないようだったので、私は見守ることしかできませんでした。しかし名前を呼ぶと、小さく応えくれました。

その後『ちゃりちゃり』は、両手両足を大きく伸ばし2〜3度宙を掻くようにして、息が止まりました。まるで古い衣を脱ぎ捨てたように見えました。

『ちゃりちゃり』の亡骸は浅い箱に入れ、夏場なので冷房を最低温度にしドライアイスを入れてリビングにおきました。何かを感じるのでしょうか? 皆んなそれぞれ覗き込んだり匂いをかいだりしていました。

ただ『みーみー』には特に変化はなかったように思います。何故ならまだこの頃、『みーみー』は他の猫たちとの接触がありませんでした。納戸部屋の住人だったからです。
『みーみー』が台所にご飯を食べに出て来るようになったのは、寒くなってからのことでした。

6匹だった我が家は、また5匹に戻りました。

2008年末
るう(15歳)、風太《♀》(9歳)、まん月(6歳)、チロ(5歳)、みーみー(3歳位)
別れ|ちゃりちゃり(8月30日死亡)

 

『みーみー』『るう』『満月』

『みーみー』は『るう』が大好きで、『まん月』のことは嫌いでした。
私は何時も『るう』に添い寝していたのですが(後で理由を書きますが、『るう』は介助を必要とする猫でした)、私が眠ると『みーみー』がやってきて、『るう』にくっ付いて寝るのです。普段は触らせてくれない『みーみー』も、その時だけは触らせてくれました。もしかすると『るう』に注意が行き過ぎて、私に撫でられてる事に気づかずになかったのかもしれません。

その一方、『みーみー』が苦手に感じている『まん月』も、私にベッタリの子でした。
だから右に『るう』、左に『まん月』で寝ている時などは、余計に『るう』にピッタリくっ付いていました。

 

『まん月』との別れ

『まん月』です

 

『ちゃりちゃり』を失った我が家でしたが、翌年2009年も不幸が襲ってきました。
それは7月4日のこと。まだ6歳になったばかりの『まん月』を、突然に病魔が襲ったのです。

『まん月』は元気いっぱいの子でした。その日までは――
その夜と云うより朝、私は『るう』のお世話を終え、『まん月』のブラッシングも済んで、少し仮眠を取ろうと思っていたところでした。『まん月』が納戸部屋の方へ走って行く足音を聞いた直後のこと、どさっと本が床に落ちるような音がしたのです。

また悪戯してと「まんちゃーん」と呼びました。何時もならば、呼ばれればすぐ飛んで来るのに、このときは足音が聞こえません。おかしいなと思いって見に行くと、『まん月』が横倒しに倒れていました。前足を小さく掻くようにして、既にその時点で意識はなかったように思います。

すぐに掛かりつけの先生に電話をしました。早朝なのに電話に出てくれた先生は「すぐ来なさい」と云ってくれました。

今思えば、『まん月』は既に亡くなっていたと思います。でも私は確信がもてず、『まん月』を抱いて車まで走りました。朝日が昇ろうとする中、ハンドルを握る手が震えました。

病院に着くと、先生はすぐ処置をしてくださいました。
でもそれは、きっと私を納得させる為だったのだと思います。
エコーで見て下さって、心筋が肥大している部分がありそれが原因だろうと云う事でした。

 

『まん月』について

『まん月』です

 

『まん月』は『みーみー』とは馬が合いませんでしたが、私の思い入れが一番強い子でした。ここで少しだけ『まん月』について触れさせてください。

『まん月』が我家の子になりったのは、2003年8月10日のことです。
その日息子と買い物に出掛けた私は、ふとペットショップに立ち寄りました。

目に留まったショーケースの中には、アビシニアンの子猫が2匹――
私が覗き込むと1匹が両手をあげて、ピョンピョン跳ねて抱っこをねだるような仕草をしました。息子が「連れてって!っ言ってるよ」と笑いました。

その後、買い物を済ませてから、帰り際にもう一度ペットショップへ寄ってみました。すると丁度、2匹いた片方のアビちゃんが買われて行くところでした。残ったのは私にピョンピョンしてくれた子の方で、ケージの隅に丸くうずくまっていました。

私はもう1度その子の前に立ちました。するとそこ子猫は、また同じように両手をあげて近づいてきたのです。私はお店の方に「抱いてみたい」と言いました。
抱き上げると、私にピッタリ体を寄せてきてきます。その様子を見ていた息子が「買ってあげるよ」と言ってくれました。

 

『まん月』です

 

帰り道、私の膝の上でその子は眠っていました。フロントガラス越にまんまるのお月さまが見えて、その子は『まん月』と名付けました。

大人猫にかこまれても臆することもなく翌日には家中を駆け回っていました。呼べば走ってきます。ワンパク全開で育っていきました。大人しく抱っこされるのは苦手でしたが、いつも手が届くところにいてくれました。表情豊かで見飽きることのない美しい子でした。

 

『ムック』の思い出

『ムック』のファミリー

 

私がお金で猫を買ったのは、たくさんの歴代猫の中で2回だけ。『まん月』が2度目でした。1度目は随分と昔のことで、当時憧れていたヒマラヤンで『ムック』といいます。
掛かりつけの先生を通じて、ブリーダーさんから買いました。

昭和50年代のことで、今のように完全室内飼いが一般的でなかった頃。
『ムック』もよく外に出ていっては、喧嘩をして帰ってきました。多分それが悪かったのでしょう。『ムック』は猫白血病(FeLV)に罹ってしまいました。正確に言うと、まだ猫白血病という病名さえも無かった時代のことです。

結局『ムック』は白血病から癌になり、6歳で亡くなってしまうのですが、私はその時『ムック』と、こんな約束をしました。
「お母さんは可哀そうな猫を救ってあげたいから、また別の猫を飼うかもしれない。けれどお金を出してまで迎える子は、君が最後だよ」

それから20年たって私は『まん月』を迎えたのです。私は『ムック』との約束を破ったことが後ろめたくて、『まん月』は名目上、息子の猫ということにしていました。

実は『ムック』と『まん月』の2匹は誕生日が同じでした。2匹ともが6歳で亡くなったのは二重の意味で苦しかったです。私の我がままで殺してしまったように思えたからです。

 

『まん月』が去って

『まん月』と私

 

話を元に戻しましょう。

腕白なまん月がいなくなり、『風太』と『みーみー』は安心したのかもしれません。突然ちょっかいを出されたり、追い掛けられたりしなくなりましたから。我が家の中で『まん月』と対等に遊べたのは『チロ』だけでした。

『みーみー』はそれを機に、居場所が変わりました。
きっと安心感だけでなく、寂しさもあったのだと思います。それと秋が深まって、寒くなってきたこともあるのかも。
『みーみー』の新しい居場所は、冷蔵庫の上、食器棚の上、タンス上の籠の中など。度々脱走もしますが殆どは庭の中にいます。この脱走癖についてはまた後程――

こうして思い出の『まん月』が去っていきました。

2009年末
るう(16歳)、風太《♀》(10歳)、チロ(6歳)、みーみー(4歳位)
別れ|まん月(7月4日死亡)

我が家の猫は4匹になってしまいました。

 

――つづく――

作:ちゃりちゃり風太
  

――次話――

みーみーと4匹の猫たち|2/3

小さな我が家の猫社会。そこにも出会いと別れがあります。
思い出の猫たちが去り、新しい猫がやってくるのです。
気ままな室内野良の『みーみー』にも、影響が無いわけではありません。
大好きだった『るう』との別れの時がやってきました。

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