猫の話をしようか

なかなか聞けない猫の話。こっそりおしえる猫の話。

私が日本にやって来た理由 ~野良猫のアイデンティティ(前編)~

f:id:masami_takasu:20180325232808j:plain文:高栖匡躬 

バックパックを背負ってホテルを出ると、正面から差す朝日が眩しかった。
目を細めながら、深く息を吸い込むわたし。
日本の空気は、生まれ故郷のハワイとは違う。
すこし湿っていて、すこしだけ若葉の匂いが混じっているような感じ――
そして――、ちょっと肌寒い。

「5月のこの時期、向うではもう、長袖なんて必要ないんだけどな」
わたしは肘までまくり上げていたシャツの袖を、元にもどす。
そのとき不意に、わたしの目の前を、黒白の毛の野良猫が横切っていった。
咄嗟にわたしは、首に掛けた1眼レフカメラを構える。
しかし――、ファインダーを覗いたときには、もう猫の姿はなかった。

わたしの名前はケイト・ガーランド(Cate Garland)。
祖母が日本人なので、わたしは日系3世にあたる。
ハワイ大学の芸術学部では写真学を専攻していて、この秋には卒業だ。このまま大学に残るか、どこかのスタジオに職を求めるかについては、まだ決めかねている。
ここ日本には思うところがあって、進路の話を全て保留にしたまま、10日間の休みをとってやってきた。

昨夜、京都駅に着いたわたしは、2つの路線と2つの駅を乗りついて、ここ出町柳駅についた。鉄道の無いハワイで生まれ育ったわたしには、ほんの数回の乗り換えでさえ、まだ冒険心が伴う。
そして――、今日は目的の場所に行く日だ。
京都には観光にきたわけではない。もちろん、折角来たのだから観光もするが、それは大事な目的を済ませたあとでの話だ。

 

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画像:Google Map

出町柳駅で切符を買う。ここからは叡山電車というローカル線だ。
小さな駅舎に入ると、目の前に、赤白色の電車が出て行くのが見えた。隣のホームには濃い緑色が扉を開けた状態で待っていて、前方からはすぐに、白い色の電車も入ってきた。
わたしは駅のスタッフをつかまえて、どれに乗れば良いかを訊ねた。はじめはつたない日本語で――。しかし、全く通じないので、諦めて母国語の英語で。

――ここで誰もが当惑する。私の風貌はどこからどう見ても東洋人。髪の毛も黒いし、肌も白くは無い。
日本人の目には、きっとわたしは日本語の話せない日本人に映ることだろう――

結局のところ、どの色の電車でも構わないのだそうだ。わたしの目的地である一乗寺駅は、全ての線が通っているらしい。
こんなとき、つくづく日本は良い国だと実感する。日本人は皆そこそこに英語を話せるし、そうでなくても、こちらの意思をどうにか理解しようとしてくれる。そして何よりも親切だ。
日本人の顔をしたわたしが、こんな事を言うのもおかしいのだが……

一両だけで走るまるでバスのような、濃い緑色の車両に乗り、空いていたシートに座ると、すぐに扉はしまって電車は出発した。車窓には街並みが流れていく。ガイドブックで見るお寺の京都ではなく、ただの民家だ。
外からの日の光で、車内はポカポカと暖かい。弛緩した心で、わたしはぼうっと、ここに来た理由を反芻した。

わたしは日本において異邦人であるのと同じように、ハワイでも異邦人だ。
外見は全くもって日本人――
にも関わらず、わたしは日本語が話せない。
子供の頃には随分といじめられた。
3つ年上の兄が、茶色い髪で、肌も白いのとは対照的だ。

 

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何故日系なのに話せないか? 理由は単純だ。
両親が日本語を話さないからだ――

祖母は日本が嫌で飛び出したのだそうだ。若い頃はフォトグラファーだったが、女性の居場所の少ない現場から、弾き出されてしまったのだ。その上、親兄弟とも折り合いが悪かったらしい。
そしてハワイで通訳のアルバイトをしているときに、祖父と出会い、結婚した。
子供を3人もうけたのだが、祖母は子供の前では日本語を使わなかった。
自分の代で、日本との縁を切りたかったそうだ。

その3人の子供のうちの一人が、わたしの父だ。
日本語が話せない日系二世の父。その子供であるわたし。そんな構図だ。
皮肉なことに、父はわたしをケイトと名付けた。なぜならば、ケイトは日本名にも同じ発音の名前があるからだ。
一度も日本を訪れたことのない父が、ルーツであるこの国に思いを馳せたのだ。
因みに兄の名は、ケン・ガーランド。

私が日本にやってきた理由はとても単純だ。
祖母の生家をこの目で見て、自分のルーツを確認したいと思った。
――ただそれだけだ。
生家の住所は父が記録をしていた。祖母はもう施設に入っており、痴呆も進んできている。そこで万が一のときに、連絡を取る先として聞きだしたのだそうだ。

 

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画像:Google Map

この話を聞いたほとんどの人達は、今更ルーツを知って何の足しになるのかと言うに違いない。しかし、わたしにとっては重要なことだ。
子供の頃にいじめられたことでは、祖母も両親も恨んではいない。
お蔭で、そんな事に負けるものかと発奮し、人一倍頑努力をした。
好奇の目も差別も、実力で跳ね返してやるのだと考えて、実際にそうしてきた。
だからわたしは、このまま順当に行けば、大学を首席で卒業するし、その上のマスターコース、ドクターコースへも、返済義務のない奨学金で進むことができる。

しかし、自分に力がつくほどに実感するのだ。
自分の中に確たるコアが無いことを――
要するにこの旅は、わたしのアイデンティティを回復するための、儀式のようなものだと言ってよい。

こんなような考え事をしているうちに、段々と眠気がさしてきた。
春の陽気がそうさせるのだろう。
目的の一乗寺駅はまだだろうか?
うっかりと、何駅過ぎたのかもカウントし忘れた。
「ひょっとして、乗り過ごしたかも……」
そう思って、軽くチッと舌打ちをしたところで、スピーカーから「イチジョウジ」という声が聞こえてきた。

 

――野良猫のアイデンティティ・後編につづく――

文:高栖匡躬

――次話――

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